フィリップ・アダムス (Philippe Adams, 1969年11月19日 - ) は、ベルギー・ムスクロン出身の元レーシングドライバー[1]。
経歴
カート - フォーミュラ3
1981年、アダムスは12歳でレーシングカートでモータースポーツキャリアを開始。1984年に四輪レースにステップアップした[2]。日本でのレース経験もあり、1991年の全日本F3選手権にラルト無限・MF204でフルエントリーし最高位2位を記録している。1989年からF1への登竜門と言われるイギリス・フォーミュラ3選手権にフル参戦し第14戦でF3初優勝を記録。イギリスF3での3年目となった1992年にシリーズランキング2位を獲得[1]。F3での好成績により1993年からイギリス・フォーミュラ2選手権に参戦、タイトルを獲得した[1]。
フォーミュラ1
1994年、アダムスと彼の支援者は、資金難に陥っていたF1のチーム・ロータスと交渉し、ロータスに50万ドルを支払うことで、ロータス・109に乗り2つのグランプリに参戦する権利を得た[1]。この資金の一部は、アダムスが勝利を挙げていたスパ・フランコルシャンで行われたF1前座レース「ベルギー・プロカーレース」の保険契約から拠出された。
アダムスは初のF1となる母国・ベルギーGPでは予選日の金曜・土曜2日とも雨になる不運もあり、予選タイムで同じマシンに乗るジョニー・ハーバートのタイムから6秒離されてしまったが、予選26位でギリギリ決勝進出を果たすことが出来た。決勝レースでは16周目にスピンを喫しリタイアとなった。2レース目となるポルトガルGPの予選ではハーバートとのタイム差は1.8秒差まで縮まり、予選25位で通過。決勝も完走者の中で最下位であったが16位で完走した[1]。持ち込んだ資金は2戦分だったため、このレースを最後にレギュラードライバーのアレッサンドロ・ザナルディがロータスに復帰し[3]アダムスのF1参戦は終了した。
スポーツカーレース
その後アダムスはイギリス国内シリーズへの参戦を選択し[1]、主にプロダクションカーおよびスポーツカーレースで活動した。1997年までスパ・フランコルシャン24時間レースに参戦し、2002年にベルギーでの耐久レースへの参戦を最後に引退した。
記録
フォーミュラ
イギリス・フォーミュラ3選手権
全日本フォーミュラ3選手権
(key)
全日本F3000選手権
(key)
イギリス・フォーミュラ2選手権
F1
(key)
ツーリングカー
全日本ツーリングカー選手権
ドイツ・スーパーツーリング選手権
(key)
参照
外部リンク