本品種はハイブリッド・ティーの系統に属する。本品種を育成したのはフランスの有名なバラ育種家であるフランシス・メイアン( F. Meilland)である。交配の母親株は Joanna Hill を、花粉親には Charles P. Kilham と Margaret McGredy の交配品が使われた。これは母親の花形の良さと Margaret McGredy のもつ株の強健さや葉の美しさを取り入れることを、また花色としては黄色、あるいは黄色と赤の複色を出すことにあった。1937年に800本からこれが選出され、1939年にドイツ、イタリア、アメリカにその芽が送られて栽培が続けられた。メイアン自身はこれに母の名であるマダム・アントワーヌ・メイアン(Mme. Antoine Meilland)(アントワーヌは男性名でフランシス・メイアンの父親にあたり、マダムをつけることでその妻を指す)と呼んだが、ドイツではこれをグローリア・デイGloria Dei(神の栄光)、イタリアではジョイアGioia(幸福)と呼び、いずれも好評を博した。
1945年に The Cornard-Pyle co. のロバート・パイル(Robert Pyle)がベルリン陥落を記念して本品種をピースと命名して発売した。彼はこの年の国際連合の初集会において本品種を持参し、『このバラ、ピースはベルリン陥落の日パサデナで開かれた太平洋バラ協会展でかく名付けられた。われわれはこの平和のバラが人々の胸に世界平和を永久に印象づけることを希望する』との言葉を贈ったという[5]。彼は参加49カ国の各国代表の部屋にこの言葉と共に本品種を1輪ずつ届けた。
本品種は1944年にはPotland 賞を、1947年にはNRSの金メダルとARSのNational 金メダルを取り、1946年にはAARSの選定花となった[4]。さらに、世界バラ会議は3年に一度の会合において、「世界の多くの人に愛され、バラの発展に貢献した」品種を選定して『栄誉の殿堂(WFRS Rose Hall of Fame)入りのバラ』の表彰が行われている。この第一回目、1976年に最初に取り上げられたのが本品種であった[8]。なお、殿堂入りで表彰された品種は2012年までで10品種あるが、この中にピースを交配親とするものが2品種含まれている。