- パッターニー県
- จังหวัดปัตตานี
-
-
-
パッターニー県(パッターニーけん、タイ語: จังหวัดปัตตานี、マレー語: Patani、ジャウィ文字: ڤطاني)は、タイ王国南部(深南部)の県(チャンワット)の一つである。ナラーティワート県、ヤラー県、ソンクラー県と接する。
地理
パッターニーはマレー半島のタイランド湾側に位置する。
歴史
マレー半島北部・タイ南部には古くはヒンドゥー教を国教とするランカスカ王国(英語版)(2世紀 - 14世紀)が栄えていた。
13世紀、ランカスカ王国がシュリーヴィジャヤ王国の属国となり、スマトラ島のパレンバンへ遷都した際に、パッタニーに独立王朝のパタニ王国(14世紀/1516年 - 1902年)が成立した。1516年にはポルトガル人の探検家ゴディーニョ・デ・エレディア(ポルトガル語版)がパタニを訪れたことから、西洋史では1516年に発見されたことになっている。
パタニ王国は、スコータイ王朝、アユタヤー王朝、チャックリー王朝と朝貢関係にあったが、1770年頃、ソンクラーを拠点にシャム軍が侵略して属国とした。バンコク王朝(英語版)のチャックリー改革により半独立状態になっていたパタニ王国は廃止され、大英帝国との協定によってパッターニーはマレー人が多く住みながらも、タイの一部となった。
パタニ王国廃止直後から独立運動が盛んになり、2004年には多くの死者を出す武力衝突も起こっている[1]。
民族
タイ族よりもマレー人が主に住み華人なども多い。また、パッターニーの住民の80%はムスリムである。
県章
県章にデザインされている大砲はパタニ王国の官吏・林道乾によって制作されたパヤー・ターニー(マレー語ではスリ・パタニ)である。以前パッターニーに設置されていたものであるが、1785年(タイ仏暦2328年)、バンコクに移された。現在防衛省本部の庁舎前に飾ってある。(大砲の詳細はラージャ・ビルを参照のこと。)
県花はハイビスカス(Hibiscus rosa-sinensis)、県木はタキアン(Hopea odorata)。
隣接する県
行政区分
パッターニー県は12の郡(アンプー)があり、その下に115の町(タンボン)と、642の村(ムーバーン)がある。
- ムアンパッターニー郡(タイ語: อำเภอเมืองปัตตานี、ジャウィ文字: ڤتتاني)
- コークポー郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอโคกโพธิ์)
- ノーンチック郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอหนองจิก)
- パナーレ郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอปะนาเระ)
- マーヨー郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอมายอ)
- トゥンヤーンデーン郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอทุ่งยางแดง)
- サーイブリー郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอสายบุรี、ジャウィ文字: تلوبن Teluban / سليندوڠ بايو Selindung Bayu)
- マイケン郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอไม้แก่น)
- ヤリン郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอยะหริ่ง Yaring、ジャウィ文字: جاريڠ Jaring)
- ヤラン郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอยะรัง)
- カポー郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอกะพ้อ)
- メーラーン郡(タイ語版、英語版)(タイ語: อำเภอแม่ลาน)
出典
- ^ T. M. フレーザー、2012、『タイ南部のマレー人:東南アジア漁村民族誌』(岩淵聡文訳)、東京:風響社。
外部リンク