彼の家族については何も知られていない、というのは彼は非常に幼いころに孤児となり、ソワソンの聖マリア女子修道院の入り口に捨てられていたからである。彼はそこで修道女たちに育てられ、彼女たちを、特に修道院長のテオドラーダを非常に好きになった。テオドラーダはコルビーのアダルハルドゥスおよびコルビーのワラの姉妹であり、この二人の修道僧(彼らはパスカシウスより前にコルビー修道院長だった人物でもある)をパスカシウスは深く尊敬した。812年頃、まだかなり若いうちに、パスカシウスは女子修道院を後にし、コルビー修道院で院長アダルハルドゥスの下、修道僧となった。彼はそこで、アダルハルドゥスの兄弟で彼の後に修道院長となるワラとも出会った。この兄弟の指導の下で、パスカシウスは修道生活に専心し、学ぶことと教えることに日々を費やした。826年にアダルハルドゥスが世を去ると、パスカシウスはワラがコルビー修道院長の地位を確保するのに尽力した。しかし836年にワラがなくなると、教会論に関してパスカシウスと大きく意見を異にするコルビーのラトラムヌスが次の院長となった。ラトラムヌスはパスカシウスのユーカリストに関する論考『主の肉と血について』(羅:De Corpore et Sanguine Domini)を論駁する同名の論考を著した。844年までに、パスカシウス自身が修道院長となった。その後10年経つと、彼は修道院長の座を辞し、自身の研究に戻った[1]。彼は修道院長をやめてすぐにコルビーを後にし、近隣のサン=リキエ修道院に移ってそこで数年間自発的な亡命生活を送った。彼が職を辞し亡命生活を送った正確な理由は不明だが、彼の行動は修道院内のコミュニティにおける党派的な論争によるところが大きいとみられている。彼と若い修道僧達との間での相互無理解が彼の行動を決定した可能性が濃厚とされる。彼は死ぬ前の、859年から865年の間にはコルビーに帰還した[2]。
パスカシウスの最もよく知られていて影響力の高い作品である『主の肉と血について』(羅:De Corpore et Sanguine Domini、831年-833年頃に書かれた)は聖餐の本性について述べたものである。この論考はもともとコルビーで彼の指導下にある修道僧の指導マニュアルとして書かれたもので、聖餐の秘跡に関するまとまった量の論考としては西方では初めてのものである[4]。パスカシウスはこの論考の中で、聖餐においてイエス・キリストの歴史的な真の肉体が現前するというアンブロシウスの主張に同意している。パスカシウスによれば、神は真理それ自体であり、それゆえに神の言と働きもまた真であるという。最後の晩餐においてキリストが述べた「パンとワインは自分の身体である」という宣言も、神は真理であると考えるがゆえに、文字通りに受けとられる[5]。聖餐において用いられるパンとワインの聖変化も文字通り起こっているのだと彼は信じる。聖餐がキリストの真の血と肉でありさえすれば、キリスト教徒はそれが救済的なものだと知ることができる[6]。キリストの血と肉の現前によって、教徒の肉体とキリストの肉体、キリストの肉体と教徒の肉体の結合を通じた、直接的・個人的・肉体的な結合におけるイエスとの真の結合が受け取られるとパスカシウスは信じた[7]。パスカシウスにとって、聖餐がキリストの肉と血に変化することは神が真理であるという原理によって可能となることである。神が自然を操作できるのは神が自然を作ったからだというのである[8]。本書は844年に西フランク王国のシャルル禿頭王に特別な序文を添えて献呈された。この著書でパスカシウスが明らかにした考えは幾分かの敵意をもって迎えられた。パスカシウスの説に同意できない部分のあったシャルル禿頭王の命により、コルビー修道院長としてパスカシウスの先任者であったラトラムヌスが同名の反駁書を書いた。聖餐は厳密に比喩的なものであるとラトラムヌスは信じていた。彼は信仰と新しく起こる学問との関係に重点を置いたが、ラトラムヌスは奇跡的なことを信じた。その後間もなく、三人目の修道士ラバヌス・マウルスがこの論争に参加し、本格的にカロリング期聖餐論争が始まった[9]。しかし最終的には、王はパスカシウスの主張を認め、聖餐におけるキリストの実体的な現前がローマ・カトリック信仰の支配的な信念となった[10]。
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