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ハリー・フーパー(Harry Bartholomew Hooper, 1887年8月24日 - 1974年12月18日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ベルステーション出身のプロ野球選手(右翼手)。右投げ左打ち。
ニックネームは"Hoop"(フープ)。1910年代レッドソックスでリードオフマンを務め、4度のワールドシリーズ制覇に貢献した守備的外野手。
カリフォルニア大学セントメリー校在学中の1908年にボストン・レッドソックスと契約、大学卒業時には、フーパーは工学の学位を持っていた。翌1909年にメジャーデビューし81試合に出場、打率.282を記録する。スライディング・キャッチを得意としていたフーパーはその守備力を買われ、2年目の1910年には右翼手としてレギュラーに定着、攻撃ではリードオフマンを務めるようになる。また同年は左翼手としてセントメリー校の後輩だったダフィー・ルイスが入団、中堅手のトリス・スピーカーが打率.340を記録しブレイクした年でもある。以後彼ら3人は『100万ドルの外野陣』として名を馳せる。ルイス、スピーカー、フーパーのトリオは1915年までレッドソックスの不動の外野として活躍し、チーム1912年と1915年の二度のワールドシリーズ制覇に導いている。
その後1919年にはレッドソックスのキャプテンを務めるなどチームの中心選手となり、レッドソックスでのワールドシリーズ出場は計4度を数える。レッドソックス時代はほぼ毎年100近い得点を上げ、三塁打数は1912年から7年続けて2桁を記録するなどコンスタントに活躍していた。三塁打数と盗塁数については、2006年現在もレッドソックスの球団記録を保持している。
1921年のシーズン始めにホワイトソックスに移籍。レッドソックス時代の走力には衰えがあったものの同年は打率.327を、1924年には自身最高の打率.328をマーク。また三塁打数はレッドソックス時代に比べて2桁を記録する事は一度も無かったものの、一方で本塁打数を1922年から3年連続で10本以上を記録。打点も1922年にキャリアハイの80打点を始め、5シーズン全て50打点以上を記録する等、ホワイトソックス時代は打撃でチームに貢献した。1925年に引退。1971年にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。1974年カリフォルニア州サンタクルスで死去。
ニール・ボール / ヒュー・ベディエント / ヒック・ケイディ / ビル・キャリーガン / レイ・コリンズ(英語版) / クライド・エングル / ラリー・ガードナー / チャーリー・ホール / オラフ・ヘンリクセン / ハリー・フーパー / ダフィー・ルイス / バック・オブライエン / トリス・スピーカー / ジェイク・シュタール / ヘイニー・ワグナー / スモーキー・ジョー・ウッド / スティーブ・ヤーキス 監督 ジェイク・シュタール
ジャック・バリー / ヒック・ケイディ / ビル・キャリーガン / ルーブ・フォスター / デル・ゲイナー / ラリー・ガードナー / オラフ・ヘンリクセン / ディック・ホビリッツェル / ハリー・フーパー / ハル・ジャビリン / ダッチ・レナード / ダフィー・ルイス / ベーブ・ルース / エベレット・スコット / アーニー・ショア / トリス・スピーカー / ピンチ・トーマス 監督 ビル・キャリーガン
ヒック・ケイディ / ビル・キャリーガン / ルーブ・フォスター / デル・ゲイナー / ラリー・ガードナー / オラフ・ヘンリクセン / ディック・ホビリッツェル / ハリー・フーパー / ハル・ジャビリン / ダッチ・レナード / ダフィー・ルイス / カール・メイズ / マイク・マクネリー / ベーブ・ルース / エベレット・スコット / アーニー・ショア / チック・ショーテン / ピンチ・トーマス / ティリー・ウォーカー / ジミー・ウォルシュ 監督 ビル・キャリーガン
サム・アグニュー / バレット・ジョー・ブッシュ / ジーン・ドゥブック / ハリー・フーパー / サド・サム・ジョーンズ / カール・メイズ / スタッフィー・マキニス / ハック・ミラー / ベーブ・ルース / ウォーリー・スハング / エベレット・スコット / デーブ・ショーン / アモス・シュトルンク / フレッド・トーマス / ジョージ・ホワイトマン 監督 エド・バロー
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