ハノイ・ロックス (Hanoi Rocks )は、フィンランド 出身のロックバンド 。
1980年代に流行した、バッドボーイズ系ロックンロールの草分け的なグループの一つ。1985年に解散して以降、同系のスタイルが全米を中心に発展していったため、その出現は早過ぎたとも言われた。その後2000年代に再結成し、2009年まで活動している。
概要
1980年、ヘルシンキ でマイケル・モンロー とアンディ・マッコイ を中心に結成された。1981年のデビュー以来、メロディアスで小気味の良いロックナンバーを発表。本格的な全米デビューを控えていた矢先の1984年、ドラマーのラズル がヴィンス・ニール (モトリー・クルー )の運転する車に乗車中、事故に遭い死亡。代役を入れるなどしたが上手くいかず、翌1985年に解散した。往年のメンバーはそれぞれの道を歩んでいたが、2001年にマイケルとアンディによって復活。3作のアルバムをリリースし、ファンの期待も大きかったが2008年に再び解散を発表し、2009年4月12日フィンランドでのライブをもって活動を終了した。
略歴
結成期
1977年、アンディ・マッコイ がスウェーデン のパンク・ロック バンド 「Briard」でデビュー。
1979年、スウェーデンにてマイケル・モンロー とアンディが出会い、ロックバンド「Nymphomaniac」を結成するも短期間で解散[ 1] 。
1980年、フィンランド ・ヘルシンキ でマイケル、ナスティ・スーサイド 、サミ・ヤッファ で結成したバンドにアンディが加入する形で「ハノイ・ロックス 」が誕生。
1981年4月、1stアルバム『Bangkok Shocks Saigon Shakes(邦題:白夜のバイオレンス)』をリリース。
1982年1月、2ndアルバム『Oriental Beat』をリリース。フィンランドで国内No1を獲得。8月にコンピレーション・アルバム「Self Destruction Blues」をリリース。またもフィンランド国内でNo1。この頃にバンドは本拠地をロンドン に移転、ドラマーがジップ・カジノからラズルへ交代する。
1983年5月、3rdアルバム『Back To Mystery City』をリリース。レディング・フェスティバル に出演。
1984年9月、メジャー・レーベルCBS と契約し4thアルバム『Two Steps From The Move』をリリース。いよいよ全米進出という矢先の12月、ラズルがヴィンス・ニール (モトリー・クルー )の飲酒運転事故により死去。翌1985年に解散した。
活動停止期間
マイケルはソロ活動を開始、アンディはナスティと「スーサイド・ツインズ」を結成したがアルバム一枚で解散。その後ナスティは「チープ・アンド・ナスティ」を結成、アンディは「チェリー・ボムズ」を結成した。サミはアメリカ のグラム・メタルバンド、「ジェット・ボーイ」に参加、とメンバーはそれぞれの道を歩んでいった。
解散後最も活動が成功していたマイケルは1992年にスティーヴ・スティーヴンス と「エルサレム・スリム」を結成し話題となったが、スティーヴンスが当時モトリー・クルーを脱退しソロ活動を始めていたヴィンス・ニールのバンドに合流するため即脱退、「エルサレム・スリム」はアルバムをリリースした時点ですでに解散という結果となった。その後マイケルは1994年にサミと「デモリション23」を結成するもののアルバム一枚を残して活動を停止。
再結成
2001年、マイケルとアンディを中心に再結成し、2002年に18年ぶりとなる5thアルバム『Twelve Shots On The Rocks』をリリース。ナスティとサミは参加せず、新規メンバーにコステロ・ホートマキ(ギター)、ティンパ(ベース)、ラク(ドラム)が加入。80年代に活動していたときはグラムロック 色のあるパンク 系だったが、再生後はマイケル・モンローのソロに通ずるハードロック 系であった。
2003年、コステロ脱退。
2004年、スティーヴィー・クラッソン加入。
2005年、スティーヴィー、ティンパ脱退。コニー・ブルーム、アンディ "A.C." クリステル加入。6thアルバム『Another Hostile Takeover』をリリース。
2007年、7thアルバム『Street Poetry』をリリース。
2008年、ラク脱退。ジョージ・アトラジック加入。10月21日、二度目の解散を発表[ 2] 。
2009年3月に日本でフェアウェルツアー、4月に地元フィンランドのTavastia Clubにて6日連続8公演を行い、最終日4月12日のライヴをもって、その活動に幕をおろした。
解散後
2010年1月、マイケルは旧メンバーであるサミ・ヤッファ(ベース)に加え、ジンジャー(ギター)、トッド・ユース(セカンドギター)、ジミー・クラーク(ドラムス)と共に、マイケル・モンロー・バンドを結成。
2023年6月、マイケルは、交通事故でラズルを失った原因の当事者ヴィンス・ニールと39年目にして初対面。これまで非難していたわだかまりを解消している[ 3] 。
メンバー
最終メンバー
マイケル・モンロー (Michael Monroe、本名:マティ・アンテロ・クリスティアン・ファーゲルホルム (Matti Antero Kristian Fagerholm )) - ボーカル /サクソフォーン (1979年~1985年, 2002年~2009年)
1962年6月17日生、フィンランド ・ヘルシンキ 出身
アンディ・マッコイ (Andy McCoy、本名:アンティ・フルッコ (Antti Hulkko )) - ギター (1980年~1985年, 2002年~2009年)
1962年10月11日生、フィンランド・ペルコセンニエミ 出身
コニー・ブルーム (Conny Bloom、本名:ウルフ・コニー・ブロムクヴィスト (Ulf Conny Blomqvist ))- ギター(2005年~2009年)
スウェーデン ・ストックホルム 出身
アンディ・"A.C."・クリステル(Andy "A.C." Christell)- ベース (2005年~2009年)
ジョージ・アトラジック (George Atlagic) - ドラムス (2008年~2009年)
マイケル・モンロー(Vo) 2008年
アンディ・マッコイ(G) 2008年
旧メンバー
ナスティ・スーサイド(Nasty Suicide、本名:ヤン・ステンフォシュ (Jan Stenfors )) - ギター(1979年~1985年)
1965年2月27日生、フィンランド・シポー 出身
ステファン・ピースナック (Stefan Piesnack) - ギター(1979年~1980年)
コステロ・ホートマキ (Costello Hautamaki) - ギター(2002年~2003年)
スティーヴィー・クラッソン (Stevie Klasson) - ギター(2004年)
ネド・ソイニネン (Nedo Soininen) - ベース(1979年~1980年)
サミ・ヤッファ(Sami Yaffa、本名:サミ・タカマキ (Sami Takamäki ))- ベース(1980年~1985年)
1963年9月4日生、フィンランド・エスポー 出身
レネ・ベリ (René Berg ) - ベース(1985年)
ティモ・カルティオ (Timo Kaltio ) - ベース(1985年)
ティンパ・ライネ (Timpa Laine ) - ベース(2002年~2004年)
ペキ・サーロラ (Peki Sirola ) - ドラムス(1979年~1980年)
ジップ・カジノ(Gyp Casino、本名:イェスパー・スポーレ (Jesper Sporre )) - ドラムス(1980年~1982年)
ラズル (Razzle、本名:ニコラス・ディングリー (Nicholas Dingley )) - ドラムス(1982年~1984年)
1960年12月2日生、1984年12月8日没、イングランド ・ロイヤル・レミントン・スパ 出身
テリー・チャイムス (Terry Chimes) - ドラムス(1984年~1985年)
ラク (Lacu、本名:カリ・ラハティネン (Kari Lahtinen ))- ドラムス(2002年~2008年)
バンド名の由来
ディスコグラフィ
スタジオアルバム
1981年 『白夜のバイオレンス』Bangkok Shocks, Saigon Shakes
1982年 『オリエンタル・ビート』Oriental Beat
1983年 『ミステリー・シティ』Back to Mystery City
1984年 『トゥー・ステップス・フロム・ザ・ムーヴ』Two Steps From The Move
2002年 『トゥエルヴ・ショッツ・オン・ザ・ロックス』Twelve Shots on the Rocks
2005年 『アナザー・ホスタイル・テイクオーヴァー』Another Hostile Takeover
2007年 『ストリート・ポエトリー』Street Poetry
ライブアルバム
1984年 『燃えるロンドン・ナイト』All Those Wasted Years
1985年 Rock & Roll Divorce
コンピレーションアルバム
1982年 『セルフ・ディストラクション・ブルース』Self Destruction Blues
日本公演
脚注
外部リンク