ハスカー・ドゥ

ハスカー・ドゥ
Hüsker Dü
ハスカー・ドゥ(1986年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミネソタ州セントポール
ジャンル オルタナティヴ・ロックハードコア・パンクパンク・ロック
活動期間 1979年 - 1988年
レーベル SSTワーナー
共同作業者 シュガー
旧メンバー ボブ・モールドギターボーカル
グレッグ・ノートンベース
グラント・ハートドラム
アルバム『ニュー・デイ・ライジング』のための写真(1985年)
フロントマンのボブ・モールド(2005年)

ハスカー・ドゥ (Hüsker Dü) は、アメリカロックバンド1979年ミネソタ州セントポールにて結成。

概要

デビュー当初はハードコア・パンク・バンドとして始まり、後にオルタナティヴ/ポスト・ハードコア・バンドとして高い評価を受ける。最初の3枚のアルバムをインディーズ・レーベルのSSTレコードからリリースし、1986年にメジャー・レーベルのワーナー・ブラザース・レコードと解散まで契約した。

1980年代のアメリカのインディー・シーンで最も重要なバンドの一つと見なされ、その後のオルタナティヴ/インディー・ロック・バンドに多大な影響を与えた。ニルヴァーナクリス・ノヴォセリックも、ニルヴァーナの音楽について「何も新しくない、ハスカー・ドゥが前にやったことさ」と語っている[1]

来歴

バンド結成

1979年[2]ボブ・モールドグレッグ・ノートングラント・ハート、チャーリー・パイン(キーボーディスト)の4人で結成したBuddy and the Returnablesというバンドが前身[3]。モールドとハートは共にラモーンズのファンであり、2人はノートンとパインを誘い一緒に演奏するようになるが、パインのキーボード音が乗ったサウンドに他のメンバーは嫌悪感を示すようになり、パイン抜きで演奏の練習をするようになる。この頃からバンド名を「ハスカー・ドゥ」に変更した。バンド名のハスカー・ドゥ(Hūsker Dū?)とは1970年代に発売されたボードゲームの名称であり、デンマーク語/ノルウェー語で「覚えてる?」という意味である。

デビュー

1980年までバンドはミネアポリスで定期的にギグを行い、アメリカ中西部のオリジナル・ハードコア・パンク・バンドとして認知されていった。バンドを気に入ったブラック・フラッググレッグ・ギンは自身のレーベルSSTレコードにバンドを契約させる。1982年ライブ・アルバム『ランド・スピード・レコード』、1983年にファースト・アルバム『Everything Falls Apart』、EP『メタル・サーカス』をリリース。この頃までバンドはパンキッシュなサウンドを展開していたが、メンバーはハードコア・パンクの制約的な音楽性からより飛躍しようと画策する。

ブレイク

1984年にセカンド・アルバム『ゼン・アーケード』を発表。コンセプト・アルバムであり、LP2枚組で70分の大作だったが、レコーディングにかけた時間はわずか45時間であり、制作費用もたった3,200ドルだった[4]。アルバムは発売当初から賞賛され、パンク・ファン以外からも注目を浴びる結果となった[5]。SSTは作品の内容からか当初3,500枚~5,000枚程度しかレコードをプレスしなかったが、発売から数週間でレコードは売り切れ数ヶ月間在庫切れとなり、それがセールスに影響しバンドはSSTに不満を抱くようになる。1985年1月にサード・アルバム『ニュー・デイ・ライジング』、8ヵ月後の9月に4枚目のアルバム『フリップ・ユア・ウィグ』をリリース。

メジャーデビュー、解散

バンドは『フリップ・ユア・ウィグ』レコーディング中からメジャー・レーベルであるワーナー・ブラザース・レコードから契約のオファーを受け、契約を結んだ。1986年3月に5枚目にしてメジャー・デビュー・アルバム『Candy Apple Grey』をリリース。バンドにとって初となるビルボードにチャートインを果たし、MTVラジオでも取り上げられるが、最終的に最高140位にとどまった。1987年1月に6枚目のアルバム『Warehouse: Songs and Stories』をリリース。『ゼン・アーケード』に続く2枚組の大作だったが、ツアー直前にバンドマネージャーのデヴィッド・サヴォイが自殺。モールドがマネジメントを管理するようになると、この頃からモールドとハートの間の確執が表面化する。ハートはメサドン服用によるヘロイン中毒に悩まされており、解散前のツアーにも参加しまだ演奏できると主張していたが、モールドはその後のツアーを全てキャンセルし、その4日後にハートはバンドを脱退し[6]、バンドも解散した。

解散後

モールドはバンド解散後にシュガーを結成、ソロのシンガーソングライターとしても活動している。ハートもNova Mobというバンドで活動した後、ソロで活動した。ノートンはGrey Areaというバンドに参加した後、音楽活動から身を引き調理師に転身、ミネソタでThe Nortonというレストランを開いた。

2004年の治療を受けていたソウル・アサイラムベーシスト、カール・ミュラーを支援するための慈善コンサートでモールドとハートはステージ上で共演し、ハスカー・ドゥ時代の楽曲を演奏した。

メンバー

ディスコグラフィ

バンドロゴ

スタジオ・アルバム

  • Everything Falls Apart (1983年)
  • 『ゼン・アーケード』 - Zen Arcade (1984年)
  • 『ニュー・デイ・ライジング』 - New Day Rising (1985年)
  • 『フリップ・ユア・ウィグ』 - Flip Your Wig (1985年)
  • Candy Apple Grey (1986年) ※全米140位
  • Warehouse: Songs and Stories (1987年) ※全米117位

ライブ・アルバム

  • 『ランド・スピード・レコード』 - Land Speed Record (1982年)
  • The Living End (1994年)
  • Live Featuring J.C. (2008年)
  • Tonite Longhorn (2023年)

EP

  • 『メタル・サーカス』 - Metal Circus (1983年)
  • Sorry Somehow (1986年)
  • Amusement (2013年)
  • 『エクストラ・サーカス』 - Extra Circus (2017年)

コンピレーション・アルバム

  • Everything Falls Apart and More (1993年)
  • 『サベッジ・ヤング・ドゥ』 - Savage Young Dü (2017年)

シングル

  • "Statues" (1981年)
  • "In a Free Land" (1982年)
  • "Eight Miles High" (1984年) ※ザ・バーズのカバー
  • "Celebrated Summer" (1984年)
  • "Makes No Sense at All" (1985年)
  • "Don't Want to Know If You Are Lonely" (1986年)
  • "Could You Be the One?" (1987年)
  • "She's a Woman (And Now He Is a Man)" (1987年)
  • "Ice Cold Ice" (1987年)

脚注

  1. ^ Husker Du - Where to Start with. Kerrang (2008-07-08)
  2. ^ Azerrad, Michael. Our Band Could Be Your Life. Little Brown and Company, 2001. ISBN 0-316-78753-1, p. 161
  3. ^ Mould, Bob & Azerrad, Michael. See a Little Light: The Trail of Rage and Melody. Little Brown and Company, 2011. ISBN 0-316-04508-X, p. 30
  4. ^ Azerrad, p. 181
  5. ^ Azerrad, p. 183
  6. ^ Azerrad, p. 194

外部リンク