アルバム『ニュー・デイ・ライジング』のための写真(1985年)
フロントマンのボブ・モールド(2005年)
ハスカー・ドゥ (Hüsker Dü ) は、アメリカ のロック ・バンド 。1979年 にミネソタ州 のセントポール にて結成。
概要
デビュー当初はハードコア・パンク ・バンドとして始まり、後にオルタナティヴ /ポスト・ハードコア ・バンドとして高い評価を受ける。最初の3枚のアルバムをインディーズ ・レーベルのSSTレコード からリリースし、1986年 にメジャー・レーベルのワーナー・ブラザース・レコード と解散まで契約した。
1980年代 のアメリカのインディー・シーンで最も重要なバンドの一つと見なされ、その後のオルタナティヴ/インディー・ロック ・バンドに多大な影響を与えた。ニルヴァーナ のクリス・ノヴォセリック も、ニルヴァーナの音楽について「何も新しくない、ハスカー・ドゥが前にやったことさ」と語っている[ 1] 。
来歴
バンド結成
1979年 [ 2] にボブ・モールド 、グレッグ・ノートン 、グラント・ハート 、チャーリー・パイン(キーボーディスト )の4人で結成したBuddy and the Returnablesというバンドが前身[ 3] 。モールドとハートは共にラモーンズ のファンであり、2人はノートンとパインを誘い一緒に演奏するようになるが、パインのキーボード 音が乗ったサウンドに他のメンバーは嫌悪感を示すようになり、パイン抜きで演奏の練習をするようになる。この頃からバンド名を「ハスカー・ドゥ」に変更した。バンド名のハスカー・ドゥ(Hūsker Dū?)とは1970年代 に発売されたボードゲーム の名称であり、デンマーク語 /ノルウェー語 で「覚えてる?」という意味である。
デビュー
1980年 までバンドはミネアポリス で定期的にギグを行い、アメリカ中西部 のオリジナル・ハードコア・パンク ・バンドとして認知されていった。バンドを気に入ったブラック・フラッグ のグレッグ・ギン は自身のレーベルSSTレコード にバンドを契約させる。1982年 にライブ・アルバム 『ランド・スピード・レコード』、1983年 にファースト・アルバム『Everything Falls Apart』、EP 『メタル・サーカス』をリリース。この頃までバンドはパンキッシュなサウンドを展開していたが、メンバーはハードコア・パンクの制約的な音楽性からより飛躍しようと画策する。
ブレイク
1984年 にセカンド・アルバム『ゼン・アーケード』を発表。コンセプト・アルバム であり、LP 2枚組で70分の大作だったが、レコーディングにかけた時間はわずか45時間であり、制作費用もたった3,200ドルだった[ 4] 。アルバムは発売当初から賞賛され、パンク・ファン以外からも注目を浴びる結果となった[ 5] 。SSTは作品の内容からか当初3,500枚~5,000枚程度しかレコードをプレスしなかったが、発売から数週間でレコードは売り切れ数ヶ月間在庫切れとなり、それがセールスに影響しバンドはSSTに不満を抱くようになる。1985年 1月にサード・アルバム『ニュー・デイ・ライジング』、8ヵ月後の9月に4枚目のアルバム『フリップ・ユア・ウィグ』をリリース。
メジャーデビュー、解散
バンドは『フリップ・ユア・ウィグ』レコーディング中からメジャー・レーベルであるワーナー・ブラザース・レコードから契約のオファーを受け、契約を結んだ。1986年 3月に5枚目にしてメジャー・デビュー・アルバム『Candy Apple Grey』をリリース。バンドにとって初となるビルボード にチャートインを果たし、MTV やラジオ でも取り上げられるが、最終的に最高140位にとどまった。1987年 1月に6枚目のアルバム『Warehouse: Songs and Stories』をリリース。『ゼン・アーケード』に続く2枚組の大作だったが、ツアー直前にバンドマネージャーのデヴィッド・サヴォイが自殺。モールドがマネジメントを管理するようになると、この頃からモールドとハートの間の確執が表面化する。ハートはメサドン 服用によるヘロイン 中毒に悩まされており、解散前のツアーにも参加しまだ演奏できると主張していたが、モールドはその後のツアーを全てキャンセルし、その4日後にハートはバンドを脱退し[ 6] 、バンドも解散した。
解散後
モールドはバンド解散後にシュガー を結成、ソロのシンガーソングライター としても活動している。ハートもNova Mobというバンドで活動した後、ソロで活動した。ノートンはGrey Areaというバンドに参加した後、音楽活動から身を引き調理師 に転身、ミネソタ でThe Nortonというレストラン を開いた。
2004年 、癌 の治療を受けていたソウル・アサイラム のベーシスト 、カール・ミュラーを支援するための慈善コンサートでモールドとハートはステージ上で共演し、ハスカー・ドゥ時代の楽曲を演奏した。
メンバー
ディスコグラフィ
バンドロゴ
スタジオ・アルバム
Everything Falls Apart (1983年)
『ゼン・アーケード』 - Zen Arcade (1984年)
『ニュー・デイ・ライジング』 - New Day Rising (1985年)
『フリップ・ユア・ウィグ』 - Flip Your Wig (1985年)
Candy Apple Grey (1986年) ※全米140位
Warehouse: Songs and Stories (1987年) ※全米117位
ライブ・アルバム
『ランド・スピード・レコード』 - Land Speed Record (1982年)
The Living End (1994年)
Live Featuring J.C. (2008年)
Tonite Longhorn (2023年)
EP
『メタル・サーカス』 - Metal Circus (1983年)
Sorry Somehow (1986年)
Amusement (2013年)
『エクストラ・サーカス』 - Extra Circus (2017年)
コンピレーション・アルバム
Everything Falls Apart and More (1993年)
『サベッジ・ヤング・ドゥ』 - Savage Young Dü (2017年)
シングル
"Statues" (1981年)
"In a Free Land" (1982年)
"Eight Miles High" (1984年) ※ザ・バーズ のカバー
"Celebrated Summer" (1984年)
"Makes No Sense at All" (1985年)
"Don't Want to Know If You Are Lonely" (1986年)
"Could You Be the One?" (1987年)
"She's a Woman (And Now He Is a Man)" (1987年)
"Ice Cold Ice" (1987年)
脚注
^ Husker Du - Where to Start with . Kerrang (2008-07-08)
^ Azerrad, Michael. Our Band Could Be Your Life . Little Brown and Company, 2001. ISBN 0-316-78753-1 , p. 161
^ Mould, Bob & Azerrad, Michael. See a Little Light: The Trail of Rage and Melody . Little Brown and Company, 2011. ISBN 0-316-04508-X , p. 30
^ Azerrad, p. 181
^ Azerrad, p. 183
^ Azerrad, p. 194
外部リンク