ハイメ・アルベルト・ロドリゲス・ヒメネス(Jaime Alberto Rodríguez Jiménez , 1960年1月17日 - )は、エルサルバドル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(リベロ)。愛称はチェローナ(Chelona)[1]で、日本ではそれが登録名にもなっていた。
来歴
16歳でアリアンサFCとプロ契約、以来ドイツ、メキシコ、フィンランドの海外のクラブを渡り歩いた。1982年にエルサルバドル代表に選出され、同年のワールドカップ・スペイン大会を始め1990年までに50試合に出場した。
1991年秋に日本でのプレーを希望し来日[2]。当初はJリーグに参加予定だった日産自動車の練習に参加[2]。当時監督だった清水秀彦は彼のリベロとしての能力に注目し、「オスカー(元ブラジル代表主将)以上かもしれない」と評した[2]。しかし日産には井原正巳・柱谷哲二らセンターバックの有望株が在籍していた上、翌年には小村徳男の加入も控えていたために獲得は見送られ、最終的に日本サッカーリーグ2部のNKKに入団した[2]。NKK入りが決まると、母国の国民的英雄ということもあり、エルサルバドルの国営放送のクルーが送り込まれた[2]。活躍が認められ翌1992年にJリーグの横浜フリューゲルスへ移籍[2]。加茂周監督の下でゾーンプレスを志向するチームの中心選手として期待されたが[2]、1年目は怪我、2年目は外国人枠の関係で出場機会は少なかった。
帰国後は引退試合がサンサルバドル・ロサンゼルスで開催され、後者の試合は現地のエルサルバドル人出稼ぎ労働者が集まり4万人ものファンが来場した[2]。
アリアンサFCの監督[1]、エルサルバドル代表のアシスタントコーチを経て、2009年6月にエルサルバドル国立スポーツ研究所(スペイン語版)(INDES) の会長に就任した[3]。
所属クラブ
日本での成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
1991-92 |
NKK |
|
JSL2部 |
15 |
4 |
- |
- |
15 |
4
|
1992 |
横浜F |
- |
J |
- |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0
|
1993 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0
|
通算 |
日本 |
J
|
2 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0
|
日本 |
JSL2部
|
15 |
4 |
- |
- |
15 |
4
|
総通算
|
17 |
4 |
4 |
0 |
0 |
0 |
21 |
4
|
代表歴
試合数
エルサルバドル代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1979 |
|
|
1980 |
|
|
1981 |
|
|
1982 |
|
|
1983 |
|
|
1984 |
|
|
1985 |
1 |
0
|
1986 |
|
|
1987 |
5 |
2
|
1988 |
0 |
0
|
1989 |
8 |
1
|
1990 |
0 |
0
|
1991 |
1 |
1
|
通算 |
15+ |
4+
|
出典
関連項目
外部リンク