ハイパーヨーヨー(HYPER YO-YO)は、1997年以降にバンダイが発売した競技用ヨーヨーの商品群。
ハイパーヨーヨーは、価格や品質だけでなく、性能面で特性の異なる様々な商品をラインナップし、商品選択から楽しめる幅広いホビー性を提供したこと、児童漫画雑誌とのタイアップによるテクニックやメンテナンス指導、競技会開催などの大規模プロモーションで一大ブームを巻き起こした。
ほとんどの商品は既存のヨーヨーメーカーのOEMである。各モデルの特徴を系統立てて、どのようなプレイトリックに向くかなどを解説し、メンテナンス部品やアクセサリも加えて統一ブランドの下で発売するという販売戦略により、小中学生を中心に人気を得た。主要な機種は分解可能で、糸交換やオイルの使用などのメンテナンスを必要とする。一部は現在も競技で使用されているものと同等である。
競技用ヨーヨーと同様に、紐はヨーヨーに完全には固定されておらず、振り下ろしたときに下で空転するようになっている。本体の内側に「レスポンスシステム」と呼ばれる何らかの抵抗を作っておくことで、空転中に紐を引けばそのままヨーヨーが紐を巻き取って戻ってくるようになっているのも、競技用ヨーヨーと同様である。
2024年の時点で過去4度に渡って断続的にプロモーションが行われている。
ヨーヨーの歴史上、最大のブームとなった時代で、ブーム開始から最初の2年で2700万個を売り上げた[1]。1997年後半から1998年のブーム時には大型量販店で売り切れが続出したことで社会現象になり、ワイドショーなどでもたびたび取り上げられ、中村名人やハイパーヨーヨーの全国大会入賞者がテレビ出演することもあった。
また、各地でイベントや大会が行われたり、ハイパーヨーヨーを使うパフォーマーも現れるほどになる。さらに全国各地のバンダイが指定した店でトリックの認定が行われた。1990年代中期の『月刊コロコロコミック』全盛時のホビーであるミニ四駆やビーダマンの中では最も後発ではあったものの、最終的には高い人気を得た。ブーム時には他社から様々な類似品も発売された。
販売こそはバンダイで一括して行ったものの、生産は多くの会社で行っていたため、生産会社別の特色が生まれ、これもブームの一因となった。糸やアクセサリーなどをカスタムして自分だけのヨーヨーを作ることができたため、猶更である。当時模倣品まで広く出回っていたため、『月刊コロコロコミック』の誌上に模倣品と純正品の識別方法が特集ページとして公開されていた。
1個2000円程度で販売されていたため、低年齢層が保護者にねだるには丁度良かった。この商品とたまごっちによって、1998年3月期の連結決算が過去最高の2882億円を記録したと言えばその商業実績の程が分かるだろう。
しかし金属ベアリングの「レイダー」などの高級モデル(5000円程度)が登場し、ハイパーヨーヨー名人が高級モデルを宣伝するなど本来のターゲットである低年齢層を置き去りにする路線に舵を切り、技術面以外に経済力が重視される風潮が漂い出したため、ブームは終息に向かい、「ハイパードラゴン」発売の頃にはブームは沈静化した。
2010年代のヨーヨー世界チャンピオンの大半は日本人選手であり、この時代でヨーヨーの存在を認知するきっかけとなった選手も多い。
最も知名度が低い時代[2]。ブーム沈静後の2004年前半から後半にかけて、再びハイパーヨーヨーが発売された。1997年に発売された一部の商品を機能をそのままに模様だけ変えたものと、新たにラインナップに取り入れた機種が発売された[3]。
しかしこちらは1997年から1998年のブームと違って全く話題にならず、コロコロコミック等でのタイアップも殆どされないまま販売が終了した。ブームが起きなかった原因として、子供の間で玩具よりも『遊戯王』や『デュエル・マスターズ』といったカードゲームが流行していた時期で、同時期には『ベイブレード』もブームが終了し販売が一時中断しており、玩具業界全体が低迷していた時期であったためと考えられる。
販売戦略も今一つで、ローンチモデルに「ハイパーレイダー」や「フリーハンド」といったフラッグシップ機を出したのに対し、その数ヶ月後には徐々に性能の劣る機種をリリースし、最終的には固定軸のエントリーモデルを出すといった始末。この発売順がユーザーからは不評だった。尤も、第1期よりもハイパーヨーヨーへの注目度が格段と低かったため、玩具界隈では大きな騒ぎにはならなかった。
ところが完全に不評を買ったというわけではなく、第1期を経験して一時的にヨーヨーを止めていた当時の青年層からは、高性能機種を安く買い求められた[4]から復帰・躍進のきっかけとなった事を評価する声もある。
発達したインターネット環境をフルに駆使して展開された時代[5]。この時代には競技ヨーヨーの性能や世界チャンピオンが行うトリックも第1期とは比べ物にならないほど進歩を遂げ、何よりプロの演技を見せる動画配信サービスも充実していた。そこでバンダイはメインターゲットを小学生男児に絞って、ヨーヨーそのものを認知させるきっかけを作り、2010年2月13日にコロコロコミックと提携して再発売した。
玩具店で受験できるトリック認定制度も小中学生限定ではあるが復活。公式サイトには前シーズンと同様に公認トリックを動画形式で発表・解説するだけでなく、発売前の製品もブログで紹介する形を取り、第1期には無かったインターネットでの情報公開に力を入れた。
ラインナップは第2期とは反対に、初めは固定軸機種から徐々に強力なシリーズを投入する形を取った。エントリーモデルとはいえ2010年春~秋には金属ベアリング機種[6]も発売され、それらが好評だったことや、コロコロコミックではキメルのYOYO!が連載開始されたことからハイパーヨーヨーへの人気が段々高まっていった。
そんな最中、2011年3月11日に東日本大震災が発生。東北地方を中心に電力不足が生じた。その環境を逆手に取り、電力不要の玩具としてハイパーヨーヨーが注目され一気にブームが大きくなった。これが影響して本年以降も他業者のヨーヨーイベントにはエントリー人数が増加するきっかけとなった。
こうしてヨーヨー界の競技人口そのものは増えていったが、年を重ねるにつれてハイパーヨーヨーの人口は震災から数ヶ月経ったあたりをピークに徐々に減少し始める。上達の早いスピナーは情報にも敏い傾向にあり、ハイパーヨーヨーよりも高性能な他社製ヨーヨーで、より高難度のトリックが行われる世界規模の競技大会の存在を認知してしまい、ハイパーヨーヨーは辞める代わりに本格的な競技ヨーヨーに移行する形で引退していくスピナーが目立った。
ヨーヨー界のうちハイパーヨーヨーのシェアが減少したため、ブームも2013年夏には弱まっており、その時点でバンダイ主催イベントの全てを終了。秋にはハイエンドモデルをリリースし、冬にはプレミアムバンダイシリーズの発売を最後に商品展開の全てを終了した。年度末のWEB全国大会を最後に歴代最長のプロモーションは幕を閉じた。
2024年6月14日、バンダイはハイパーヨーヨーが令和に生まれ変わり、復活する事を発表した[7]。同年7月1日、名称が『ハイパーヨーヨーアクセル』と発表され、ストリングを強く引っ張ることでヨーヨーの内部が回転する機能が搭載されている。
このシーズンはヨーヨー入門者へのハードルを大幅に下げる事に注力している[8]。従来、入門者にとってロング・スリーパーの習得は最初の関門の一つであった。なぜならヨーヨーを正しい向きで手に持ち、かつ正しい姿勢で真っ直ぐ投げ下ろさねばトリックとして成立せず、ここで躓いてしまう者が相次いだからである。これを解決すべく、日米で特許の出願を済ませたボディーとキャップが独立して回転する機構を用いる事で、投げ下ろさずにロング・スリーパー、並びにその発展トリックの習得を容易なものにしている。
バンダイによる第2期ハイパーヨーヨーオフィシャルサイトでの分析方法[9]。一般的なヨーヨーの性能分析も加えておく。
元の製造会社によって大きく分けてYOMEGA製、DUNCAN製、YOYOFACTORY製、バンダイ社純正、HENRYS製、RUSSELL製の6系統に分けられる。
第1期の主要商品[10][11]。その殆どは左右のボディをひねることで分解が可能であり、軸とベアリングを装備している。第3期は四神等の幻獣をテーマとした製品名に変更され、イメージカラーは赤。
ブレイン、ファイヤーボール、レイダーは内蔵パーツが違うもので、ボディは同じ。これらにはそれぞれノーマルボディとステルス型ボディが存在し、ステルス型は糸が巻かれる溝の幅が広い形状を有する。溝に糸を通す技がやりやすくなる。
初期に販売されたDUNCAN製のヨーヨーは、全てベアリングを装備せず、軸に直接糸をかける固定軸タイプだった。そのため、ブーム初期のものは値段は安い物が多く、性能はYOMEGA製ハイパーヨーヨーに比べると概ね劣る。ブーム後期以降はベアリングを採用した機種も登場し、値段もそれなりにする。第3期は自然界の属性をテーマとした製品名に変更され、イメージカラーは黒。
第3期から登場したメーカー。ストリングプレイに向いた機種が多い。星をテーマとした製品名になっており、イメージカラーは青。因みにYOYOFACTORY社のハイパーヨーヨー以外のヨーヨーは、フルメタルなど最上級者向きの機種が多数あり、1Aをはじめとする多くのプレイヤーから好評である。
ヨーヨー専用の紐。長く細い1本の紐が半分に折られて縒ってある。ヨーヨーの紐はプレイ中に劣化し、最悪の場合プレイ中に切れることがあり危険なため、なるべくこまめに交換することが薦められている。
ベアリング機種の軸とベアリングの間にさす潤滑剤。プレイ中に蒸発していくので、こまめに補給することが薦められている。なお、フリーハンド等2期以降のバタフライ形状の機種に関しては粘性のあるオイルやワセリンをさすことは推奨されていない。
当初「○級」と呼ばれていたため、これに限っては数字が小さい程高等なテクニックとされる[28]。
当初は、このレベルが最終レベルとなっており、これを全てクリアした人には「プロスピナー」の称号とともに記念デザインのヨーヨーやカードなどのプレゼントを行っていた。
THPジャパンプロスピナーレベルの全22トリックに合格した者だけが挑める最終関門。
審査員の目の前で、課題曲に合わせて3分間で30種以上のトリックを取り入れて、自由な構成で演技を行う。
採点基準は明確になっておらず、ストリングプレイとルーピングプレイをバランス良く行い、シングルハンドとダブルハンドもバランス良く行い、プレイ中は笑顔であること等、様々な厳しい課題がスピナーに課せられ、審査員は技術力や表現力を審査するだけでなく、ヨーヨーの検品も行う。
これに合格したスピナーにはTHPジャパンへの加入権が与えられた。
公式発表トリックのうち、認定制度範囲外のトリック集。番号は難易度を表すものではなく、若い番号ほど古い日付で収録された。
ハイパーバイパー向きのトリック集。オンストリングはバタフライ型であればどんなハイパーヨーヨーでもプレイ可能だが、オフストリングをプレイする際には必ずハイパーバイパー、若しくは社外品ではあるが4A専用のヨーヨーを用いた方が良い。
このレベルのみ、認定会では固定軸のヨーヨーを用いらねばならない。
以下の12種の内、10種のトリックの認定に合格すればスーパーレベルはクリアとなる。
以下の12種の内、10種のトリックの認定に合格すればハイパーレベル1stはクリアとなる。
以下の12種の内、10種のトリックの認定に合格すればハイパーレベル2ndはクリアとなる。
上記全てのトリックをマスターし、それでももの足りない者の為のトリック集。こちらは認定会で挑戦することは出来ない。
第3期最高峰の認定トリック集。このレベルのみバインドでのキャッチが認められる。バインドを除く15種全てに合格することがクリア条件で、達成するとマスタースピナーの称号とライセンスカードが与えられた。
このシーズンから難易度による分別を廃止し、プレイスタイルで区分されるようになった。
ボディーとキャップが独立して回転する機構を用いたトリックの系統[33]。これらのトリックをプレイするには、アクセルシステム搭載機でなければならない。
従来のスリーピングプレイに相当するスタイル。第3期以前にストリングプレイとして分類されていたピクチャー系やブランコ系のトリックもこの部類に含まれる。
バンダイは過去に自社が主催する全国規模の大会を行っていた。大会の入賞者とその成績はヨーヨー日本王者一覧に記載。
いずれも『月刊コロコロコミック』で連載。
『ハイパーヨーヨー バーニング』→『ハイパーヨーヨーキングダム』が2011年4月から2013年3月までテレビ東京系列『おはコロっす!』→『おはコロ+』→『おはコロアップ』枠で放送された。ナレーションは河本邦弘。本作からは特撮に切り替わった。
ゲスト出演者はお笑い芸人が多く起用されており、芸風がそのまま投影されている。なお、出演者は番組中でクレジットされない。
ハイパーヨーヨーのルールやトリックなどを解説するCGアニメのミニコーナー『キメルと静のYOYO部!』(キメルとしずかのヨーヨーぶ)が『ハイパーヨーヨー バーニング』の直後に放送されている。登場キャラクターは樫本学ヴ『キメルのYOYO!』のもの。
1998年6月16日、バンダイ・ミュージックから発売。
2010年4月4日頃から認定店に設置されている無料で遊べるハイパーヨーヨー計測用ゲーム筐体。タイミングよく投げ下ろす『ハイパーリズム』、最高回転速度を計測する『ハイパースピン』、スリープの連続回転秒数を計測する『ハイパースリープ』の3つの計測ができる。