ネナド・マスロバル
ネナド・マスロバル(Nenad Maslovar、1967年2月20日 - )は、ユーゴスラビアモンテネグロ(現モンテネグロ共和国)出身の元サッカー選手。ポジションはMF。愛称はマキ[2]。 経歴ヴォイヴォディナのFKスパルタク・スボティツァ、ボスニア・ヘルツェゴビナのFKヴェレジュ・モスタルを経て、1992年にセルビアの名門レッドスター・ベオグラードへ移籍し、中心選手としてプレーし[2]、2シーズンを過ごした。 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の戦火を逃れ、1994年7月にJリーグジェフユナイテッド市原へ移籍。1994年8月10日、2ndステージ開幕戦のガンバ大阪戦で初出場すると初ゴールも決めた[3]。当時の監督清雲栄純と対立していたMFピエール・リトバルスキーに代わり同年後期からチームの司令塔として君臨した[2]。キープ力があり[1]、左足から放たれるスルーパスと鋭く精度の高いフリーキックを武器に活躍した[4]。1995年7月1日のヴェルディ川崎戦では移籍後初の2ゴールを決めたが、延長PK戦ではPKを失敗して敗れた[5]。1995シーズンには開催されたリーグ戦、全52試合にフル出場し16得点を挙げた。1996年4月20日、第9節名古屋グランパスエイト戦のボレーシュートはJリーグ30周年ベストゴールのボレー/オーバーヘッド部門にもノミネートされた[6]。この年、そして翌1997年は怪我でそれぞれ17試合に出場したのみに終わった。1997年3月8日のJリーグカップベガルタ仙台戦ではハットトリックを決めた[7]。1998年、7月15日のJリーグカップ準決勝鹿島アントラーズ戦でハットトリックを決め[7]、チームを決勝に導いたが、決勝でジュビロ磐田に敗れて準優勝に終わった[8]。 ジェフとの契約終了後の1999年にアビスパ福岡へ移籍、4月3日、1stステージ第5節で古巣ジェフ市原と対戦し、決勝点を含む2ゴールを決めて勝利した[9]。1999年シーズンを最後に現役生活から引退した。Jリーグ通算150試合45ゴールの成績を残した[3]。 現在はモンテネグロのサッカークラブOFKグルバリ・ラダノヴィチの会長を務める。 人物
所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
代表歴試合数
タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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