ニギディウスの学問に関して名声は同時代人の間ではマルクス・テレンティウス・ウァロに次ぐ二番手にすぎない。同時代においてさえ彼の著書は難解と見なされたが、それはひょっとするとその秘教的ピタゴラス主義の故なのかもしれない。ニギディウスはストア派の要素とピタゴラス主義を合体させた。ヒエロニムスは彼を「Pythagoricus et magus」つまり「ピタゴラス主義者にして魔道士」と呼んだ。また中世からルネサンスにかけてニギディウスは慣習的に魔法使い、占い師、オカルティストとして描かれた。彼は膨大な量の著作をものしたが、現代では他の作者の著作に断片として残っているに過ぎない。
ニギディウス・フィグルスの生涯に関する第一の情報源としては、キケローの書簡に見られるいくつかの言及やルカヌスの「Bellum civile」第1巻639番に対する注釈がある。断片に関する主な情報源としてはアウルス・ゲッリウス[22]、大プリニウス、ノニウス・マルケッルスらがいる。19世紀のニギディウスに関する重要な研究としてはヴィルヘルム・ジークムント・トイフェルの『ローマ文学史』170、M・ヘルツの「N.F.の著作と研究について(De N. F. studiis atque operibus)」(1845)がある。
編集
ニギディウスの著作の断片はA.シュヴォボダの「P.ニギディウスの遺品である作品(P. Nigidii Figuli Operum Reliquiae)」(Amsterdam 1964, updated from the 1889 edition)および「ニギディウスの謎(Quaestiones Nigidianae)」というラテン語での長く非常に有用な序論に集められている。シュヴォボダは断片の情報源の総括を視野に入れて考えていた(pp. 138–140)。
^Cicero, Timaeus 2; T.R.S. Broughton, The Magistrates of the Roman Republic, vol. 2, 99 B.C.–31 B.C. (New York: American Philological Association, 1952), pp. 190, 193 (note 5), 194, 239, 245.
^アルナルド・モミリアーノ, "The Theological Efforts of the Roman Upper Classes in the First Century B.C.," Classical Philology 79 (1984), p. 201.
^See Revilo P. Oliver, "Apex and Sicilicus," American Journal of Philology 87 (1966) 129-170; Marcello De Martino, "Noctes Atticae, 13, 26 e il presunto ‘equivoco’ di Gellio: riaperto il caso del ‘casus interrogandi’", in Indogermanische Forschungen, 111, 2006 S. 192-226.
^Leofranc Holford-Strevens looks at several references to Nigidius in Aulus Gellius: An Antonine Scholar and His Achievement (Oxford University Press, 2005), limited preview online; search Nigidius.
参考文献
T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association