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ナサニエル・ナイルズ Nathaniel Nilesl |
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ナサニエル・ナイルズ |
基本情報 |
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フルネーム |
Nathaniel William Niles |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
同・マサチューセッツ州ボストン |
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生年月日 |
(1886-07-05) 1886年7月5日 |
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没年月日 |
(1932-07-11) 1932年7月11日(46歳没) |
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死没地 |
同・マサチューセッツ州ブルックライン |
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利き手 |
右 |
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4大大会最高成績・シングルス |
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全米 |
準優勝(1917) |
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4大大会最高成績・混合ダブルス |
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全米 |
優勝(1908) |
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優勝回数 |
1(米1) |
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ナサニエル・ナイルズ(Nathaniel Niles, 1886年7月5日 - 1932年7月11日)は、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン出身の男子テニスおよびフィギュアスケート選手。フルネームは Nathaniel William Niles (ナサニエル・ウィリアム・ナイルズ)という。テニス選手として1900年代から1910年代の全米テニス選手権で活躍し、1908年混合ダブルス優勝・1917年男子シングルス準優勝などの成績を挙げた後、フィギュアスケート選手として1920年アントワープオリンピック・1924年シャモニー・モンブランオリンピック・1928年サンモリッツオリンピックの3度オリンピックに出場した。フィギュアスケートの競技大会ではテレサ・ウェルド(1893年 - 1978年)とペアのパートナーを組んだ。
経歴
ナイルズのテニス分野での成績は、1904年全米選手権の男子シングルス・ベスト8までさかのぼることができる。それから1926年までの間、彼はテニスの全米選手権に23年連続出場を続けた。初出場から4年後の1908年、ナイルズは混合ダブルスでエディット・ロッチと組んで優勝した。シングルスでは1911年のベスト8・1913年のベスト4を経て、1917年に決勝へ進出した。アメリカが第1次世界大戦に参戦したことから、この大会は赤十字社の資金集めのためのイベントとして開かれ、出場選手数も例年より少なかった。ナイルズは決勝で左利き選手のリンドレイ・マリーに 7-5, 6-8, 3-6, 3-6 (セットカウント1対3)で敗れ、男子シングルス優勝のチャンスを逃した。マレーに敗れた準優勝の2年後、1919年の男子シングルス2回戦で日本の柏尾誠一郎を 6-1, 6-2, 6-4 で破った記録が残っている。[1] ナイルズは1926年の1回戦敗退を最後に、23年連続出場を続けた全米テニス選手権から撤退し、以後はフィギュアスケート選手としての活動に専念した。ほぼ10年以上にわたり、彼はテニスとフィギュアスケートを掛け持ちでプレーしたことになる。
1914年から始まった全米フィギュアスケート選手権で、ナイルズはテレサ・ウェルドとのペアで9度優勝(1918年・1920年-1927年まで8連覇)、男子シングル3度優勝(1918年・1925年・1927年)を記録した。オリンピックにおけるフィギュアスケート競技は、1920年のアントワープ五輪まで夏季オリンピックで実施され、ナイルズは男子シングル6位・ペア4位に入った。1924年に第1回冬季オリンピックとしてシャモニー五輪が開かれ、冬季五輪種目としてフィギュアスケート競技も実施された。シャモニー五輪でのナイルズの成績は、男子シングル6位・ペア6位であった。それからサンモリッツ五輪で3度目のオリンピックに出場した時は、ナイルズ42歳・ウェルド35歳を迎えたこともあり、男子シングル15位・ペア9位の最下位に終わった。
1932年の世界フィギュアスケート選手権(カナダ・モントリオール開催)でペア8位に入ってから4か月後、ナイルズは1932年7月11日にマサチューセッツ州ブルックラインにて46歳で急死した。死後の1978年、「世界フィギュアスケート博物館と栄誉の殿堂」の選考により「アメリカフィギュアスケート殿堂」に選ばれた。
主な戦績
テニス
- 全米選手権 1917年男子シングルス準優勝・1908年混合ダブルス優勝 [1904年-1926年まで23年連続出場]
フィギュアスケート
男子シングル
競技大会 |
1914 |
1918 |
1920 |
1921 |
1922 |
1923 |
1924 |
1925 |
1926 |
1927 |
1928
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オリンピック |
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6位 |
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6位 |
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15位
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世界選手権 |
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10位
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北米選手権 |
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2位 |
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全米選手権 |
3位 |
優勝 |
2位 |
2位 |
2位 |
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2位 |
優勝 |
2位 |
優勝 |
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ペア
(パートナーはすべてテレサ・ウェルド)
競技大会 |
1914 |
1918 |
1920 |
1921 |
1922 |
1923 |
1924 |
1925 |
1926 |
1927 |
1928 |
1929 |
1930 |
1932
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オリンピック |
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4位 |
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6位 |
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9位 |
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世界選手権 |
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7位 |
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6位 |
8位
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北米選手権 |
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2位 |
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優勝 |
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2位 |
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全米選手権 |
2位 |
優勝 |
優勝 |
優勝 |
優勝 |
優勝 |
優勝 |
優勝 |
優勝 |
優勝 |
2位 |
2位 |
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外部リンク