ドリアーノ・ロンボニ(Doriano Romboni, 1968年8月12日 -2013年11月30日 )はイタリア・レーリチ出身の元オートバイレーサー。ロードレース世界選手権(WGP)で活躍した。
経歴
WGPにおけるベストシーズンは1990年で、初優勝を含む2勝を挙げて125ccクラスのランキング4位を獲得した。1994年にも250ccクラスで1勝を挙げてランキング4位となっている。[1]
125ccクラスと250ccクラスでホンダのマシンで活躍した後、1996年にロンボニはアプリリアのファクトリーライダーとして500ccクラスに挑戦する。マシンは250ccのVツインを380ccに排気量アップしたエンジンが搭載されていた。アプリリアはこのマシンの軽さを武器にして、1994年からV型4気筒500ccの強力なライバルたちに挑んでいたのである。
4年間続いたアプリリアのこのプロジェクトは1997年を最後に終了したが、500ccクラスから撤退する最後のシーズンにロンボニはランキング10位という結果を出した。アプリリアが撤退した後の1998年は、ロンボニはMuZチームから開幕戦の日本GPだけ出場し、これが彼にとって最後のグランプリとなった。
1999年、ロンボニはドゥカティを駆るプライベーターとしてスーパーバイク世界選手権に挑戦し、シーズン序盤は立て続けに上位入賞する速さを見せた。そして迎えたモンツァ・ラウンド、ロンボニは既に6度のタイトルを獲得しているドゥカティワークスのカール・フォガティとトロイ・コーサーに続いて一時は3位を走る健闘を見せた。しかしアーロン・スライトとの接触によって脚を痛め、この怪我が元で同年シーズンの残りレースを欠場。ロンボニは2000年と2004年シーズンにスーパーバイク選手権に復帰し参戦した[2]。
死去
2013年11月30日、マルコ・シモンチェリ追悼イベントでのレースで事故死。初日2度目のセッション中に転倒を喫した際に他車と激突し、ラティナ市内の病院にヘリコプターにて緊急搬送され、集中治療を受けていたが、死亡が確認された[3]。
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
脚注