トミー・ボルト(Tommy Bolt, 1916年3月31日 - 2008年8月30日)は、アメリカ・オクラホマ州ハワース出身のプロゴルファー。1950年代から1960年代にかけてアメリカPGAツアーで活躍した。特にショットテクニックの評価が高く、専門家にも認められているところだが、ひとたび失敗すると瞬時に逆上する短気ぶりから、“瞬間湯沸かし器”と称された。
近所のゴルフ場でキャディをしながらゴルフを覚えたボルトは、第二次世界大戦中は軍に所属、退役後は建築業で生計を立てた。その後1950年に32歳で全米プロゴルフ協会(PGA)会員となり、1951年に「ノース&サウス・オープン・チャンピオンシップ」で早くもツアー初勝利を挙げた。しかしこの頃からすでに短気なボルトの悪癖が問題視される。ミスショットの度に彼のクラブは地面に叩きつけられ、林に投げ込まれ、時には池に沈められた。
1953年にラスベガスで開催された「トーナメント・オブ・チャンピオンシップ」では、同市内で「彼の成績に関係なく、ラウンド終了後に何本のクラブが残っているか」という賭けが公募されたのも、彼のクラブ破壊癖を物語るエピソードの1つである。この賭けのあったラウンドで、彼のクラブは奇跡的に14本とも生き残った。
こうした彼の行いに対し、1957年にPGAは「トミー・ボルト法」というルールを採用し、故意にクラブを破損した場合には罰金を課す事となった。このルールは3年後の1960年まで採用された。
1958年には42歳にして全米オープンに優勝した。最終日は30度を軽く越える酷暑の中、プレーオフを含め36ホールをプレーし、粘るゲーリー・プレーヤーを4打上回った。
その後シニアツアーでも活躍し、2002年には世界ゴルフ殿堂の「ベテラン部門」に選出され、86歳にして殿堂入りを果たした。2008年8月30日、ボルトはアーカンソー州ベイツビルにて92歳で死去した。
プロ優勝
PGAツアー (15)
太字はメジャー優勝
シニア優勝 (3)
外部リンク
参考文献
- 夏坂健『ゴルフの達人』 日本経済新聞社、1999年、80-83頁。