トゥグリル2世(? - 1134年)は、セルジューク朝の君主(スルターン、在位:1132年 - 1134年)[1]。ムハンマド・タパルの子。ムハンマド・タパルを祖とするイラク・セルジューク朝の君主としては、トゥグリル1世[2]。
生涯
1131年にマフムード2世が没した後、1132年にイラク・セルジューク朝に対して宗主権を主張するアフマド・サンジャルは、保護下に置いていたトゥグリル2世をスルターンに擁立した[2]。トゥグリル2世の兄弟マスウードは彼の即位を認めなかったが、サンジャルに敗退する。
1134年にトゥグリル2世は没し、サンジャルはやむなくマスウードの即位を認めた[3]。
脚注
- ^ 『新イスラム事典』(平凡社, 2002年3月)、581頁
- ^ a b 井谷「トルコ民族の活動と西アジアのモンゴル支配時代」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、111頁
- ^ 井谷「トルコ民族の活動と西アジアのモンゴル支配時代」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、111,116頁
参考文献
- 井谷鋼造「トルコ民族の活動と西アジアのモンゴル支配時代」『西アジア史 2 イラン・トルコ』収録(永田雄三編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2002年8月)