「デルタの夜明け」(原題: Delta Dawn)は、タニヤ・タッカーが1972年に発表したデビュー・シングル。ヘレン・レディのカバー・バージョン(1973年、全米1位)で主に知られる。
概要
1950年代から60年代半ばにかけて姉のローリー・コリンズとともに「ザ・コリンズ・キッズ」というロカビリー・デュオで活動していたラリー・コリンズと、アレックス・ハーヴェイが作詞作曲した。かつて人々から「Delta Dawn」と呼ばれ崇められたテキサス州ブラウンズビル出身のサザン・ベル。彼女は現在41歳になったが、若い頃彼女に求婚した "Mysterious dark-haired man" の幻影にとりつかれ、スーツケースを持ったまま街をさまよい歩く。
作者のアレックス・ハーヴェイは1971年に発表したアルバム『Alex Harvey』においてレコーディング。これがオリジナル・バージョンとされる。
1972年、当時13歳のタニヤ・タッカーはコロムビア・レコードと契約。プロデューサーのビリー・シェリルは「The Happiest Girl in the Whole U.S.A.」をタッカーのデビュー曲として考えていたが、タッカーはトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー』でベット・ミドラーが歌っているのを聞き、「デルタの夜明け」にしたいと主張した[3]。同年5月、シングルA面として発表[1]。ビルボード・Hot 100で72位、カントリー・チャートで6位を記録した。
1973年、ヘレン・レディのプロデューサーを務めていたトム・カタラーノは、タッカーのバージョンに似せたアレンジのインストゥルメンタル・トラックを作りバーブラ・ストライサンドに歌わせようとした(編曲はアル・キャップス)。しかしストライザンド側が断ったため、レディが歌うことになった。同年6月にシングルA面として発表され[2]、ビルボード・Hot 100で1位[4]、イージーリスニング・チャートで1位、カナダRPMで1位、オーストラリアで1位、キャッシュボックス誌で1位を記録し大ヒットとなった。ビルボードの1973年の年間チャートでも14位を記録した。シングルのB面はポール・ウィリアムズが書いた「友達ならば(If We Could Still be Friends)」。
その他のバージョン
脚注
関連項目