1918年1月23日、ニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所にて起工し、同年9月28日に進水式を迎えた。この進水式には艦名の由来となったツイッグス少佐の孫娘リリー・S・ゲッチェル(Lillie S. Getchell)が招かれていた。1919年7月28日、フィラデルフィア海軍造船所にて就役。初代艦長にはアイザック・C・ジョンソン・ジュニア中佐(Isaac C. Johnson, Jr.)を迎えた。
およそ8年後の1930年2月20日、サンディエゴにて艦長にトーマス・S・キング二世少佐(Thomas S. King II)を迎え再就役を果たす。ツイッグスは第14駆逐隊の旗艦となり、戦闘艦隊(英語版)(Battle Fleet)と共にサンディエゴを母港として任務にあたった。1931年2月、戦闘艦隊付偵察艦隊(Scouting Fleet)と共に艦隊集結演習に参加する。3月15日、演習完了にあわせて正式に偵察艦隊に配置される。なお、偵察艦隊は4月1日の艦隊再編の折に偵察部隊(Scouting Force)と改称されている。以後はサウスカロライナ州チャールストンを母港とし、1933年春頃まで第7駆逐隊旗艦として任務にあたった。4月1日から7月1日まで第6駆逐隊第2駆逐戦隊所属艦として西海岸側の戦闘艦隊に参加。11月1日、サンディエゴの第20交代予備駆逐戦隊(Rotating Reserve DesRon 20)に移り予備役艦となる。1934年7月1日、第2駆逐戦隊第4駆逐隊所属艦として現役復帰。以後、サンディエゴを母港として活動し、1936年末に退役が決定する。1937年4月6日、ツイッグスは再び退役し、サンディエゴに係留された。
12月22日、ハリファックスを出港。英本土到着後、英海軍に復帰する。スコットランドのロサイスを拠点としていくつかの作戦を遂行した後、レミントンは予備役艦に指定されタイン川に係留された。1944年6月16日、レミントンはソビエト連邦へ貸与され、ズグチ(ロシア語: Жгучий, 「炎」の意)の艦名が与えられた。その後1949年までソ連邦艦として任務に従事し、1950年に英国へ返還された。その後、サン=ナゼール強襲を題材としたトレヴァー・ハワード主演の戦争映画『封鎖作戦』(原題:The Gift Horse)の撮影に使用され、駆逐艦HMSバラントレーを演じた。バラントレーは実在の駆逐艦HMSキャンベルタウンをモデルとしており、レミントンは既に解体が決定していた為に実際のキャンベルタウンと同様に煙突を切り詰めるなどの大幅な改造も施された。
Arnold Hague, Destroyers for Great Britain: A history of 50 town class ships transferred from the United States to Great Britain in 1940, Naval Institute Press, 1990, ISBN 0-87021-782-8