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チョン・デヨン
Jung Dae-young
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基本情報 |
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国籍 |
韓国 |
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生年月日 |
(1981-08-12) 1981年8月12日(43歳) |
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出身地 |
忠清北道清州市 |
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ラテン文字 |
Jung Dae-young |
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身長 |
183cm |
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体重 |
71kg |
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血液型 |
AB型 |
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選手情報 |
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ポジション |
MB |
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利き手 |
右 |
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スパイク |
303cm |
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ブロック |
292cm |
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チョン・デヨン(漢字表記:鄭大永、ハングル:정대영、ラテン翻記:Jung Dae-young、女性、1981年8月12日 - )は、大韓民国の元バレーボール選手[1][2]。
来歴
現代建設時代
忠清北道清州市出身。中学在学中にバレーボールを始める。当時も高身長であったためポジションはセンターであった[3]。1999年12月に実業団の現代建設に入部し[4]、カン・ヘミやチャン・ソヨン、ク・ミンジョンらとともに2000年代前半の現代建設黄金期を支えた。同時期に韓国代表に選出され、アテネオリンピックを始めとする[5]多数の国際大会に出場し、ミドルブロッカーとして地位を固めた。
スーパーリーグがプロ化されVリーグとなった2005年のレギュラーシーズンには、ベストスコアラーなど個人3冠に輝き、MVPに選出された。
GSカルテックス時代
2007年5月、デヨンは知人の紹介で知り合った4歳年上の一般男性と6年間の交際の末に結婚し、Vリーグ唯一のミセスプレーヤーとなった[5]。結婚の直前、Vリーグで新設されたフリーエージェント制によるFA資格を得て、プロリーグ発足前から現代建設で苦楽をともにしたイ・スクジャと共に、GSカルテックスに移籍し、年俸1億1000万プレーヤーとなった[6]。デヨンは後にマスコミとのインタビューで、「故障で2006年限りで引退を決意したが、GSカルテックスへの移籍が自分のバレーボール人生にとって大きな転機となった」と語っている[7]。
移籍後初シーズンとなった2007/08の直前にデヨンは盲腸の手術を受けた影響で、練習量不足で成績が上がらずに「失敗した移籍」との評価を受けた[7]。試合を重ねるに連れ体調を回復したデヨンは徐々に成績が向上し、チャンピオン決定戦でバックアタック15本(30得点[8])を決めるなど、GSカルテックスのVリーグ初優勝に大きく貢献し、自らもチャンピオン決定戦MVPに輝いた。
2008年はオリンピックイヤーであったが、デヨンは術後の回復度と足首の故障を理由に代表を辞退し、足首の手術を受けた。これに対して韓国バレーボール協会は、デヨンを1年間の国内外試合出場停止という懲戒処分に科した[9]。
2010年に女児を出産[3]。同年、3年ぶりに代表へ復帰するとアジア競技大会で銀メダルを獲得した。2012年、ロンドン五輪に出場した。2013/14シーズンにはGSカルテックス在籍2度目となる優勝を果たした[3]。
韓国道路公社に再移籍
2014年に再度FAとなったデヨンは、韓国道路公社ハイパスジェニスに移籍した[3]。韓国では数少ないママさんプレーヤーで、娘を道路公社社内の幼稚園に預けて練習に励む[3]。
GSカルテックス復帰
2023年、GSカルテックスに移籍。優勝した2013-14シーズン以来9年ぶりの復帰となった。
現役引退
2024年、現役引退。25年の選手生活にピリオドを打った[10]。
球歴
所属クラブ
受賞歴
- 2002年 - 韓国バレーボールスーパーリーグ ベストブロッカー
- 2005年 - Vリーグレギュラーシーズン MVP、ベストスコアラー、ベストブロッカー
- 2006年 - Vリーグレギュラーシーズン バックアタック賞
- 2008年 - Vリーグレギュラーシーズン ベストブロッカー、チャンピオン決定戦MVP
Vリーグの個人記録
脚注
出典
外部リンク