渡米後に、アルザス生まれのウクライナ育ちを自称したため、長年にわたってその生い立ちが信じられてきたが、現在では研究者によって、過去を封殺するため出生地をでっち上げたことが究明されている。なお、姓の前に「トルノフ」を加えて二重姓にしたチャールズ・マーティン・トルノフ=レフラー(Charles Martin Tornov-Loeffler)という氏名も伝えられている。レフラー(Löffler)姓がドイツ語で「ヘラサギ」を意味することから、それに該当するロシア語ないしはウクライナ語の単語(Торнов)を付け加えたとレフラー本人は説明していたようである。
生前レフラーはミュールーズ生まれと主張してきたため、ほぼすべての音楽事典がこの贋情報を掲載している。存命中に発表された記事でさえ、レフラーの「典型的なアルザス気質」を詳説したほどであり、ダリウス・ミヨーは自伝の中でレフラーを「スイス出身の老作曲家」と回想した。実のところは、音楽学者でレフラーの伝記作家のエレン・ナイトが明らかにしたように、レフラーはフランス人ではなく生粋のドイツ人であった。ベルリン市民を両親に、ベルリン近郊(現在は同市内)のシェーネベルクに生まれ、マルティン・カール・レフラー(Martin Karl Löffler)と名付けられた。したがって故国はフランスではなくプロイセンであり、母語はドイツ語であった。
擬古典的なニューイングランド楽派の作曲家の中にあって、どちらかといえば急進的な交響詩の作曲家として名を揚げており、メーテルランクに基づく『タンタジルの死』(仏語:La Mort de Tintagiles)、ヴェルレーヌによる『優しき歌』(La Bonne Chanson)、ウェルギリウスの詩による『異教徒の詩』(Poème païen)、『子ども時代の想い出(ロシアの村の日常)』(英語:Memories of My Childhood (Life in a Russian Village))といった管弦楽曲を残している。このほかに、イェイツの詩集に基づく連作歌曲集『5つのアイルランドの幻影』(Five Irish Fantasies)(管弦楽伴奏版の題名。原曲のピアノ伴奏版は『葦原をぬける風』(The Wind among the Reeds))がある。
これらの作品は、フランス印象主義音楽や、スクリャービン流のロシア象徴主義音楽と共通する音楽語法がとられ、拡張された調性と半音階技法、自由奔放な和声法、旋法的な傾向が顕著である。一方で、『弦楽五重奏曲』や弦楽四重奏曲 Music for Four Stringed Instruments、オーボエとヴィオラ、ピアノのための『2つの狂詩曲』のような室内楽曲は、むしろドイツ盛期ロマン派音楽の手堅い伝統に則っている。宗教曲では詩篇第137番『バビロンの河のほとりに』(Psalm CXXXVII "By the rivers of Babylon")もロマン派音楽の伝統に立脚しているが、淀みなく流れる美しい旋律ゆえに再評価に値しよう。