チェチェンの首長(チェチェンのしゅちょう、ロシア語: Глава Чеченской Республики、チェチェン語: Мехкада Нохчийн Республика)は、ロシア連邦内チェチェン共和国における政府の最高位の官職である。第二次チェチェン紛争のさなか、ロシア政府が統治を取り戻した2003年に創設された職位である。
役職名は当初、「大統領」であったが、2010年8月にラムザン・カディロフが「国に大統領は1人だけ」と主張して名称の変更を提唱し[1]、9月2日に議会の決定により「首長」に名称変更された。
2023年2月10日に憲法が改正され、チェチェン語の役職名が「民族の父」「国父」を意味するメヘダ(Мехк-да)に変更された[2][3]。なおロシア語の名称は変更されていない[4]。
要件
チェチェン共和国憲法第64条の規定により、首長は30歳以上のロシア連邦国民に限られる。任期は5年間、再選の上限は定められていない[5]。また、チェチェン議会の代議士、もしくは地方自治体の代議士を兼ねることはできない。
大統領選挙は政党が指名した候補者によって争われ、国民の直接選挙によって選出される[5]。
歴代首長一覧
本項ではチェチェン共和国の前身にあたるチェチェン民族管区(ロシア語版)、チェチェン自治州、チェチェン・イングーシ自治州、チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国における最高職も含めている。
ソ連時代
事実上の首長
法令上の首長
ロシア連邦時代
代
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肖像
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氏名
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就任日
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退任日
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所属政党
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備考
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国民復興政府議長
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1
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サラムベク・ハジエフ(ロシア語版)
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1995年1月3日
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1995年10月23日
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元首
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1
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ドク・ザヴガエフ(英語版)
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1995年10月24日
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1996年12月9日
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チェチェン連邦政府代表
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1
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ニコライ・コシュマン
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1999年10月15日
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2000年6月28日
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行政府長官
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1
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アフマド・カディロフ
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2000年6月20日
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2003年3月27日
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無所属
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大統領
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1
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アフマド・カディロフ
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2003年3月27日
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2004年5月9日
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無所属
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2003年10月19日まで暫定。在任中に暗殺
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-
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アナトリー・ポポフ(英語版)
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2003年8月5日
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2003年10月18日
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カディロフの大統領選挙への立候補に伴う、行政府首相による代行
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-
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セルゲイ・アブラモフ
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2004年5月9日
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2004年10月5日
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無所属
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カディロフ暗殺に伴う、首相による権限代行
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2
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アル・アルハノフ
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2004年10月5日
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2007年2月15日
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無所属
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任期途中で辞任
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3
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ラムザン・カディロフ
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2007年2月15日
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2010年9月2日
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統一ロシア
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2007年4月5日まで首相による権限代行
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首長
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1
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ラムザン・カディロフ
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2010年9月2日
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(現職)
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統一ロシア
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役職名変更。2016年3月25日から10月5日まで代行
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関連項目
脚注
注釈
出典