ダドリー・ハーディ(Dudley Hardy, RI, ROI, RBA, RMS, PS,、1867年1月15日 – 1922年8月11日)はイギリスの画家、イラストレーターである。
イングランド中部のシェフィールドで生まれた。父親は海洋画家のトーマス・ブシュ・ハーディ(Thomas Bush Hardy: 1842–1897)で[1]父親から絵を学んだ後、1882年にドイツに渡り、デュッセルドルフ美術アカデミーで3年間、学び、その後2年間、パリとアントウェルペンの美術学校でも学んだ。イギリスに戻った後はロンドンで活動した[2][3]。
1885年からロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展を始め、生涯にわたり出展を続けた。パリの展覧会にも出展した[4]。
中東の風景やフランスのブルターニュの農民の生活などの題材で描くことを好み、雑誌などの刊行物にイラストも描いた。19世紀末にフランスなどのポスター芸術の流行を受けて、1900年代の初め、ポスターや絵葉書などを多く制作した。ドイリー・カート劇団(D'Oyly Carte Theatre Company)やサヴォイ劇場 (Savoy Theatre)のために多くのポスターを描いた[5]。
1898年に友人の挿絵画家、George Charles Haitéや商業美術のアーティストたちとロンドン・スケッチ・クラブを創立し、後に会長も務めた[6]。