セシル・D・アンドラス(Cecil Dale Andrus 1931年8月25日 - 2017年8月24日)は、アメリカ合衆国の政治家。アイダホ州知事を内務長官職をはさみながら続けるなど、民主党の重鎮として知られた。
経歴
1931年、オレゴン州フッドリバーで生まれる。地元のオレゴン州立大学に通った後に中退、地元で働いていたが朝鮮戦争時にはアメリカ海軍に入った。1955年に退役後は製材業で働いた後、アイダホ州へ移り保険業界で働いた。
1961年、アイダホ州上院議員選挙に立候補して当選[1]。その後、当選を重ねながら、1966年にアイダホ州知事選挙に立候補するも敗れる。1970年に州知事選挙に再挑戦して当選。1974年には再選を果たした。知事時代には全米知事会議の会長となり、ジョージア州知事であったジミー・カーターと知己を得る。この縁で、1977年に発足したカーター政権発足時にアメリカ合衆国内務長官に抜擢[2] され、1981年までを務めた。その後、1986年にアイダホ州知事選挙に再び立候補して当選、1990年の選挙でも再選された。同州知事の4選は最多記録となった。
脚注
- ^ “20世紀西洋人名事典 C.D. アンドラス”. 日外アソシエーツ (1995年). 2021年3月17日閲覧。
- ^ カーター政権を支える人々 内務長官 セシル・アンドラス『朝日新聞』1977年(昭和52年)1月20日朝刊、13版、7面
外部リンク
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