スモーレイ (駆逐艦)

スモーレイ
基本情報
建造所 ワシントン州シアトル・タコマ造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 駆逐艦
級名 フレッチャー級駆逐艦
艦歴
起工 1943年2月14日
進水 1943年10月27日
就役 1944年3月31日
退役 1957年9月30日
除籍 1965年4月1日
その後 1966年1月4日、スクラップとして売却
要目
排水量 2,050 トン
全長 376フィート6インチ (114.76 m)
最大幅 39フィート8インチ (12.09 m)
吃水 17フィート9インチ (5.41 m)
主機 蒸気タービン
出力 6,000馬力 (4,500 kW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 35ノット (65 km/h)
航続距離 6,500海里 (12,000 km)/15ノット
乗員 319名
兵装 38口径5インチ砲5門
40mm対空砲10門
20mm対空砲7門
21インチ魚雷発射管10門
爆雷軌条2軌、爆雷投射機6基
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スモーレイ (USS Smalley, DD-565) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の1隻。艦名は南北戦争の活躍を表彰された軍人アンソニー・A・スモーレイ(1836年 - 1894年)に因む。

艦歴

1943年2月14日にワシントン州シアトル・タコマ造船所にて起工され、1943年10月27日にリナ・A・メイヨー女史により命名・進水し、1944年3月31日に就役した。

シェイクダウン後、1944年6月7日に「メイヨー」他駆逐艦1隻がハワイに向かう3隻の輸送船の護衛として出航し、1944年7月11日に真珠湾に到着した。28日にはフランクリン・D・ルーズベルト大統領重巡洋艦ボルチモア」に搭乗して真珠湾に入港した際、同艦の乗組員が登舷礼を行った。

8月8日、「スモーレイ」はアリューシャン列島に向け出港。1944年11月21日に日本千島列島にある松輪島の建物、テント、機銃掃射台、滑走路などを砲撃した。この砲撃では466発の弾丸を発射した。その後、アリューシャン巡航中にさらに3度の砲撃任務を行った。1945年4月18日、ハワイへの帰還命令を受けた。

5月11日、駆逐艦「ロウ英語版(DD-564)」「ストッダード英語版 (DD-566)」と共に、空母タイコンデロガ (CV-14)」をウルシー環礁まで護衛した。1週間後、「タイコンデロガ」から発艦した飛行機がタロア島を空襲した。この空襲の際、「スモーレイ」は撃墜された雷撃機から乗員を救出した。

1945年6月4日、「スモーレイ」は沖縄に到着し、連合軍の沖縄攻略を支援し、輸送海域の対潜哨戒および対空哨戒を行った。その後は日本本土への攻撃に参加し、1945年7月23日には父島を砲撃した。

「スモーレイ」は1945年10月に帰投、1947年1月に海軍船籍から除籍され、チャールストン海軍工廠の米国大西洋予備艦隊に配属された。

1951年7月3日、朝鮮戦争の勃発により「スモーレイ」は再就役することとなった。グァンタナモ米軍基地で再訓練を実施した後、ニューポート海軍基地に向かい、1951年12月10日に入港した。1952年は機器の整備や追加訓練に費やし、1953年春にボストン海軍工廠を経由して韓国へ向かった。7月2日、空母「プリンストン (CV-37)」の飛行機護衛として韓国の戦闘海域に入り、1953年7月27日の休戦協定調印までTF77とともに行動を続けた。

「スモーレイ」は11月上旬まで戦闘が行われた海域に留まった。海兵隊員110名を佐世保から釜山へ輸送したり、遭難した韓国漁船を救助するなど、さまざまな任務をこなした。韓国漁船が遭難した際には、29名の乗組員を救助した。その後1953年11月に極東を出港し、香港、シンガポールセイロン島サウジアラビアアデンポートサイドピレウスカンヌジブラルタルを経由して1954年1月15日にニューポートに帰港した。

「スモーレイ」はロードアイランド州のニューポートを母港とし、1955年7月、北欧地中海の航海へ出航した。イギリスデンマークフィンランドスコットランドスペインフランストルコを訪問し、デンマーク艦隊とイギリス艦隊の部隊と行動を共にした。11月15日に帰国の途に就き、28日にニューポートに到着した。

1956年はカリブ海を巡航し、1957年には最後の作戦任務としてニューポートを離れ、アフリカ東岸へ航行した。帰国後、6月12日にチャールストン海軍工廠で乾ドックに入り、1957年8月23日、フィラデルフィア海軍造船所に向けて母港を出発した。「スモーレイ」はその地で退役、アメリカ大西洋予備艦隊に所属し、1965年4月1日に海軍船籍から抹消された。

「スモーレイ」は、第二次世界大戦での功績により3個、朝鮮戦争功績により1つの従軍星章を授与された。

脚注

外部リンク