スマッシュ!!11(スマッシュ・イレヴン)は、RKBラジオで1969年(昭和44年)4月23日から1986年(昭和61年)4月4日まで17年間放送された夜ワイド番組。
メインパーソナリティは井上里瑠(井上サトル)アナウンサー[2][3]。
長年に渡って福岡の若者から支持を受け、多くの福岡出身のミュージシャンが、この番組を登竜門として全国にはばたいた。
アシスタント
- 初代:本多和子[4]
- 2代目:林田スマ[3][4]
- 3代目:浜田令子[4]
- 4代目:中村いく子
- 1974年~1975年3月:吉村佳代子(月・火)、斉藤ヒデミ(水・木)、井上日登美(金・土)[5]
- 1975年4月~:宮原ヨーコ(月・火)、斉藤ヒデミ(水・木)、中西一清(金)[6]
- 1980年当時:古川カヨコ、田中マチエ[7]
- 1981年当時:松岡礼子[3]、品川直美[3]、竹山エリ[3][8]
- 1982年4月~1984年当時:松崎カオリ(月・水)、二宮キョウコ(火・木)、河村ヤヨ(金)[9]
- その他、林田真穂などがアシスタントを務めた。
放送時間
期間 |
放送時間
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1969年4月23日 - 1975年 |
月曜日 - 土曜日 23:00 - 24:00
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1975年 - 1986年4月4日 |
月曜日 - 金曜日 22:10 - 24:00
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※1984年秋から1985年春のプロ野球オフシーズン時には、この番組の前座番組として21:00〜22:00に「スマッシュ!!9」が放送された。
主なコーナー
- 福岡県内各地にスタッフが赴き、その場所に集まった聴取者の声を録音し、その録音した声を編集して放送する[2]。
- 番組内でも人気コーナーであり、後述のKBCラジオの番組「PAO〜N ぼくらラジオ異星人」でも「ちょっといいですか?」という同じ内容のコーナーが放送されるほどだった。
- カジノ・スマッシュ
- スマッシュ・アタック
- スマッシュ・レポート
- タイトルは『知っとぉーや スマッシュ・レポート』とも。このコーナーでの採用者の中から抽選で5,000円が贈呈された[10]。
- スマッシュ・リクエストNo1
- ハモラナイ・コーラス(金曜日のみ)
- 通学沿線気になるあの娘
- 1977年4月から。リスナーが通学途中で見かけて気になった女の子を探し出して、スタジオや電話で対面させようという企画[11]。
- 親しい人を紹介するコーナー(正確なタイトル不明)
- 1977年4月から。月曜から金曜の日替わりで「僕の親父」「僕のおふくろ」「私の彼」「僕の彼女」「私の連れ合い」の各テーマを設けてリスナーから自分の親しい人を紹介してもらう[11]。
- スマッシュ放送局(1980年代以降)
- スマッシュ落書帖
- 日替わりテーマに沿っての、リスナーからの電話によるレポートを放送。1980年当時は放送開始前21:59からの60秒の本番組予告コーナーの中でこのコーナーのテーマ告知があり、この直後22:00から受付開始。パーソナリティの井上自身も生放送開始までオペレーターとして電話をとっていた[12]。
- 地元タウン誌編集部員によるニュース (1980年当時・月曜コーナー)[12]
- レポーターの声のアンケート (1980年当時・火曜コーナー)[12]
- 全国の空模様コーナー (1980年当時・水曜コーナー)
- 日本全国から各地の天気を電話で報告[12]。
- なぜ・WHY・どうしてコーナー (1980年当時・木曜コーナー)
- リスナーからの素朴な疑問に回答(珍答含む)。1980年当時はレコードプロモーターからなるグループ「ビコーズ」がこのコーナーに参加していた[12]。
- ドラマコーナー (1980年当時・金曜コーナー)
- リスナー作のドラマを紹介[12]。
- ネームネームコーナー
- リスナーから、自分の名前の由来とそのエピソードを166167(1980年4月スタート)[13]。
- 無責任大人電話相談室
- レコード宣伝マンが本番組中で“評論家”に扮してリスナーからの質問に回答(1980年4月スタート)[13]。
- 男の秘密・女の秘密 いうちゃろ!いうちゃろ! (1980年代以降)[10]
- ジャンピング・スマッシュ 得意技一本勝負!(1980年代以降)
- 電話出演する2人のリスナーが対戦形式で得意技を披露。勝った方に3,000円が贈呈された[10]。
- リスナーから、自分の痴漢体験を手紙でレポート[14]。
- 成人向け雑誌や官能小説などの本を、街で見かけてその中から選んだ女性に読んでもらい、反応を見る(1985年当時放送)[15]。
番組企画
- 1978年(昭和53年)ごろ、スマッシュ!!11のスタッフが野球チーム「オール・スマッシュ」を結成。番組内で福岡の地元チームとの対戦を実況。コンサートで来福したミュージシャンのチームも参戦するようになり、ついには1979年(昭和54年)、松山千春率いる「松山千春スーパースターズ」側から挑戦を受け、同年6月10日に番組開始10周年記念企画として平和台球場で井上陽水率いるオール・スマッシュと対戦。結果は5対4でオール・スマッシュ側が勝利。これは「第1回夢の球宴」と称され、観客2万人を動員した。
- その後「夢の球宴」はその後を含め計4回実施されるほどの人気企画となった。この2チームは翌1980年(昭和55年)5月28日にも平和台球場にて再度対決、この時は12対5で松山千春スーパースターズが勝利した。その約4ヶ月後の10月9日には小倉球場にてオール・スマッシュ改め「オールRKB」が松山千春スーパースターズと対決したが0対7で敗れた。さらに翌1981年(昭和56年)7月23日平和台球場にてRKB創立30周年記念イヴェントとして松山千春スーパースターズが西鉄ライオンズOBチームと対戦、観客8万人を動員した試合は8対1でOBチームの勝利に終わった。
- 番組内企画では「通学沿線気になる あのこ」というコーナーがあった。通学途中の駅や構内、プラットホーム、車内、またはバス停などで、よく見かける「あの子」「あの人」を探すコーナー。他に番組の始めに「今日の一言!」のコーナーもあり、リスナーも参加できた。それ以外に、公開録音と題して、パーソナリティーがスタジオを飛び出して、放送エリア内にある中学や高校を訪ねていく企画もあった。
エピソード
主なイベント・企画
脚注
- ^ 「長寿番組のテーマ曲」『ラジオライフ』第2巻第3号、三才ブックス、1981年5月1日、90頁。
- ^ a b 日本民間放送連盟(編)「制作ノートから 根づいたヤング・コミュニティ スマッシュ11 / 井上悟」『月刊民放』第10巻第8号、日本民間放送連盟、1980年8月1日、36 - 38頁、NDLJP:3470936/19。
- ^ a b c d e 「飛びこみ番組取材」『ラジオライフ』第2巻第3号、三才ブックス、1981年5月1日、67 - 73頁。
- ^ a b c 『ラジオライフ』第2巻第3号、三才ブックス、1981年5月1日、79頁。
- ^ 季刊ランラジオ(自由国民社)1975年1月号 p.47 RKB毎日放送番組表
- ^ 季刊ランラジオ(自由国民社)1975年6月号 RKB毎日放送番組表
- ^ 『ラジオライフ』第1巻第1号、三才ブックス、1980年6月1日、73頁。
- ^ 季刊ランラジオ(自由国民社)1981年11月号 p.83 RKB毎日放送番組表
- ^ 明星 1982年6月号「MYOJO PAPER RADIO」p.161
- ^ a b c ラジオマガジン 1983年9月号 p.43
- ^ a b 季刊ランラジオ(自由国民社)1977年5月号 p.79 RKB毎日放送番組表
- ^ a b c d e f 明星 1980年5月号 p.166-167「ラジオDJ広場」
- ^ a b 明星 1980年7月号「ラジオDJ広場」
- ^ 明星(集英社)1983年11月号 p.172「おかひろみのRADIO WAVE」
- ^ ラジオパラダイス 1985年12月号「僕の田舎のかっ飛ビ番組」p.64
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1988年8月号特集「全国4大エリア 夜ワイド合戦絵巻」より。
- ^ 「大学受験ラジオ講座」は早朝5時台へ移行
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1986年6月号「『スマッシュ!!11』ラストナイトの記録」より。
- ^ 日本懐かしラジオ大全(辰巳出版、2021年11月5日初版発行)p.142
- ^ 明星 1982年2月号「MYOJO PAPER RADIO」p.182~183
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