スフォルツァ家 House of Sforza |
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イタリア貴族 |
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国 |
イタリア |
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領地 |
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当主称号 |
- ミラノ公爵
- バリ公爵
- ペーザロ領主
- カラヴァッジョ侯爵
- コティニョーラ伯爵
- カステッラルクアート領主
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創設 |
1411年 (613年前) (1411) |
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家祖 |
ムーツィオ・アッテンドロ |
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最後の当主 |
ミラノ: フランチェスコ2世(1535年) ペーザロ: ガレアッツォ(1512年) |
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分家 |
スフォルツァ・ペーザロ家(1515年) スフォルツァ・コティニョーラ家(1624年) スフォルツァ・セサリーニ家 |
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スフォルツァ家(英語: House of Sforza)は、15世紀から16世紀までのイタリアにおいてミラノなどを支配した家である。宮廷に学者や芸術家を集め、学芸を保護し、ルネサンスのパトロンとして知られる。フランス国王シャルル8世の侵攻により、ミラノを追われる(イタリア戦争の項を参照)。その後、ハプスブルク家の支援を受け、ルドヴィーコ(イル・モーロ)の子マッシミリアーノが一時ミラノ公を継ぐ。名のスフォルツァとはフランチェスコの父であるムツィオ・アッテンドロの呼び名で、”何事をも成し遂げる者”を意味する。
主な人物
- 傭兵隊長としてミラノ公・ヴィスコンティ家に仕える。主家の一人娘ビアンカ・マリーアと結婚し、1450年ミラノ公となる。
- 1494年、ミラノ公になる。イル・モーロとは「ムーア人(ベルベル人)」の意であり、色黒だったことから付いた渾名。レオナルド・ダ・ヴィンチを宮廷に招いたことでも知られる。1499年フランス軍の侵攻では、1500年のノヴァーラの裏切り(ドイツ語版、英語版)で捕虜となり投獄され、1508年に獄死。
- イル・モーロの子、1512年にミラノ公を継ぐが1515年フランス軍により追放される。
- マッシミリアーノの弟、ミラノ奪還後の1521年 - 1525年、1529年から死去するまでミラノ公を継いだ。死後に第四次イタリア戦争が勃発する。
- イル・モーロの庶子、傭兵隊長として異母兄に従い1532年にカラヴァッジョ侯となる。1535年11月の兄の死後ミラノを占拠したが翌月に変死した。
分家
- フランチェスコの同母弟アレッサンドロの家系で、ペーザロ領主。1512年断絶。
- フランチェスコの庶子スフォルツァ・セコンドの家系で、ボルゴノヴォ領主。1679年断絶。
- フランチェスコの異母弟(正妻の子)ボシオの家系で、アッテンドロ家の郷里コティニョーラ領主。1624年まで続く。
- スフォルツァ・サンタフィオーラ家(スフォルツァ・セサリーニ家)
- ボシオの家系でサンタフィオーラ領主。有力貴族と婚姻を重ね、1674年にスフォルツァ・セサリーニ家と改名。21世紀現在も貴族として継続。
- イル・モーロの庶子ジョヴァンニ・パオロの家系で、カラヴァッジョ領主。最後の女子相続人ビアンカ・マリア3世(イタリア語版)が1796年のナポレオン・ボナパルト率いるイタリア戦役で侯爵領を占領され終焉した。
系図