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スティーヴン・マキンワ |
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名前 |
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本名 |
スティーヴン・アヨデレ・マキンワ Stephen Ayodele Makinwa |
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ラテン文字 |
Stephen Makinwa |
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基本情報 |
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国籍 |
ナイジェリア |
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生年月日 |
(1983-07-26) 1983年7月26日(41歳) |
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出身地 |
ラゴス |
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身長 |
186cm |
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体重 |
78kg |
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選手情報 |
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ポジション |
FW (CF) |
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利き足 |
右足 |
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ユース |
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エベデイ |
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クラブ1 |
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年 |
クラブ |
出場 |
(得点) |
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2000-2001 |
レッジャーナ |
0 |
(0) |
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2000-2001 |
→ コネリアーノ (loan) |
8 |
(2) |
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2001-2002 |
コモ |
0 |
(0) |
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2002-2003 |
ジェノア |
29 |
(6) |
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2003-2005 |
レッジャーナ |
18 |
(6) |
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2003-2004 |
→ コモ (loan) |
21 |
(6) |
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2004 |
→ モデナ (loan) |
17 |
(1) |
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2005 |
アタランタ |
17 |
(6) |
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2005-2006 |
パレルモ |
23 |
(5) |
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2006-2012 |
ラツィオ |
45 |
(3) |
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2008 |
→ レッジーナ (loan) |
9 |
(0) |
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2009 |
→ キエーヴォ (loan) |
9 |
(1) |
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2010-2011 |
→ ラリッサ (loan) |
10 |
(1) |
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2012-2013 |
カッラレーゼ |
13 |
(6) |
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2013-2014 |
北京八喜 |
11 |
(4) |
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2014 |
ゴリツァ |
5 |
(1) |
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代表歴 |
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2004-2008 |
ナイジェリア |
18 |
(2) |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
スティーヴン・アヨデレ・マキンワ(Stephen Ayodele Makinwa, 1983年7月26日 - )は、ナイジェリア・ラゴス出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションは、FW(センターフォワード)。
経歴
クラブ
初期
2000年、地元のFCエベデイ(英語版)から幼馴染にして同僚のオバフェミ・マルティンスと共にACレッジャーナ1919へ加入し、マキンワは同年にセリエDのコネリアーノ・カルチョ(イタリア語版)に貸し出され、イタリアでのキャリアを始めた。
2001年、セリエBのコモ・カルチョへ50%の共同保有で加入するも出場はなく、2002年にセリエCのレッジャーナに復帰し、レギュラーとしてプレーした。
ジェノアとローン
コモは、6月にレッジャーナから残り50%の保有権を買取り、2003年8月にジェノアCFCへ売却。2003-04シーズン前半はローンという形でそのままコモに在籍した。2004年1月、モデナFCに貸し出されセリエAデビューを果たし、2004-05シーズンにセリエBのジェノアへ復帰すると、前半で6得点を記録。また、同シーズンのチームにはディエゴ・ミリートとロベルト・ステッローネが在籍していた。
アトランタとパレルモ
2005年1月、アタランタBCに共同保有で加入し、チームは6月に残りの保有権を買い取ることを決定したものの27日に降格した。
2005年7月、移籍金750万ユーロでUSチッタ・ディ・パレルモへ移籍[1]。パレルモでプレーしたのは、2005-06シーズンのみと1シーズンだけだったが、UEFAカップ2005-063得点, リーグ戦23試合5得点を挙げ、チームをUEFAカップ出場圏内の5位入賞に貢献した。
ラツィオ
2006年夏、330万ユーロの共同保有でSSラツィオへ移籍し、アタランタ時代に指導を受けたデリオ・ロッシ監督と再会した。2007年6月、ラツィオはさらに330万ユーロを支払い保有権を全て買取り、この時に新たに5年契約を結んだ。
2007-08シーズンは、自身初のUEFAチャンピオンズリーグ出場になるも、得点を挙げることは出来ず、またチームはグループステージで敗退した。それから半年後、周囲を納得させるパフォーマンスを披露出来なかったマキンワは、降格の危機にあるレッジーナ・カルチョへ貸し出された[2]が、ここで得点を挙げることが出来ずにシーズンを終了した。
2008-09シーズンは、チーム残留が微妙な状態で開始し、ちょうど4試合に途中出場した。ゴラン・パンデフ, マウロ・サラテ, トンマーゾ・ロッキ, シモーネ・インザーギとFWの序列で5番手になったため、2009年1月22日にシーズン終了までの期限でACキエーヴォ・ヴェローナへ貸し出された[3]。完全移籍のオプションが付いていたが、キエーヴォ側は行使することなく2009-10シーズンにラツィオへ返却された。
2010年7月15日、シーズン終了までの期限でギリシャのAEL 1964へ貸し出され[4]、10試合1得点を記録して復帰。2011-12シーズンになるとエドアルド・レヤ監督の構想から外れ[5]、シーズン終了に伴い放出される予定と報じられた[6]。
2012年11月13日、レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネのカッラレーゼ・カルチョと契約した[7]。
代表
2004年11月17日、1-2で敗れた南アフリカ戦でデビューし、さらに初得点を挙げた。アフリカネイションズカップ2006では、グループステージのセネガル戦 (2-1勝利)と準々決勝のチュニジア戦 (1-1引き分け, PK戦6-5勝利)に出場し、準決勝のコートジボワール戦で63分から途中出場するも、得点を挙げることは出来ず0-1で敗れた。3位決定戦で再びセネガルと対戦し1-0で勝利するも、出場はなかった。アフリカネイションズカップ2008にも出場したが、ここでも優勝することは出来なかった。
所属クラブ
- → コネリアーノ・カルチョ (loan) 2000-2001
- → コモ・カルチョ (loan) 2003-2004
- → モデナFC (loan) 2003-2004
- → レッジーナ・カルチョ 2008.1-2008.6
- → ACキエーヴォ・ヴェローナ (loan) 2009.1-2009.6
- → AEL 1964 (loan) 2010-2011
脚注
外部リンク