ステファン・クリストファー・コリカ(Stephen Christopher Corica、1973年3月24日 - )は、オーストラリア・クイーンズランド州イニスフェイル出身の元サッカー選手(MF)、指導者。元オーストラリア代表。
現在はシドニーFCの監督を務めている。
人物
現役時代は精度の高いパスと、正確に枠を捉えるシュート力・特にミドルシュートが得意な攻撃的MF[1]。
マーク・ボスニッチ、ポール・オコン、ジェリコ・カラッツ、ネド・ゼリッチらと共に、オーストラリアにおける黄金世代と呼ばれた選手の一人。
来歴
現役時代
オーストラリア国立スポーツ研究所(AIS)出身。オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグのマルコーニ・スタリオンズFC(英語版)でデビュー[1]、1992/93シーズンには最優秀U-21選手に選ばれている。
代表では、U-17から年代別代表を経験し、1989 FIFA U-16世界選手権出場、1991 FIFAワールドユース選手権4位入賞。1992年にはエディ・トムソン率いるバルセロナオリンピックU-23代表に選ばれ4位入賞。1993年からA代表に招集され、1994年4月16日親善試合対クウェート戦で初キャップ[1]。
1995年8月、イングランドへ渡りFLDiv 1(2部リーグ)のレスター・シティに入団する[2]。レギュラーとして活躍するも同シーズンの試合中に足首に怪我を負う[2]。そのシーズン途中である1996年2月に移籍金150万ポンドでウルヴァーハンプトン・ワンダラーズへ移籍する[2]。また同1996年にはアトランタオリンピックにオーバーエイジとして出場している。1997年以降、2度前十字靭帯を損傷してしまい[3]、出場機会が減っていった。
2000年、トムソンおよびウルブズ時代のコーチ・マイケル・ヒックマンの紹介で、サンフレッチェ広島に加入、同年5月13日のヴェルディ川崎戦での決勝ゴールはJリーグ初ゴールとなった[4]。翌2001年、攻撃的サッカーを標榜としたヴァレリー・ニポムニシ監督のもとで、攻撃的MFとしてブレイク、11ゴールを決めて[4]、久保竜彦・大木勉・藤本主税とともに、同年2ndステージにおいてサンフレッチェの躍進を支えた[5]。2002年、本人およびサンフレッチェとともに契約更新を望んだが、この年より監督に就任したガジ・ガジエフの評価は低いもので結局契約には至らなかった[6]。
2001年、日韓で行われたFIFAコンフェデレーションズカップ2001の出場[1] 以降、A代表からはしばらく遠ざかることになる。
2002年2月、再びイングランドのクラブであるFLDiv 1(2部リーグ)のウォルソールFCへ移籍した[7]。ただチームは下位に低迷し2004年フットボールリーグ1(3部リーグ)に降格すると、同年9月新しく監督に就任したポール・マーソンにより構想外にされる[7]。
2005年から、シドニーFCへ移籍すると10番をつけ、キャプテンとして活躍した[8]。同年にはリーグ優勝に貢献。また同年にはドワイト・ヨークや三浦知良と共に世界クラブ選手権出場のため来日した。2006年8月16日、AFCアジアカップ2007予選に久しぶりにA代表に招集されている。その後もシドニーFCで主力として活躍後、2010年怪我を理由に引退する[9]。
指導者時代
2010年からシドニーFCのユースコーチに、2011年からヴィテズラフ・ラヴィチュカ(英語版)監督のもとトップチームのアシスタントコーチに就任した[8]。2012年11月にはイアン・クルーク監督辞任を受けて、暫定でシドニーFC監督を務めた[10]。
2018年5月16日、シドニーFCの監督に就任した。
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
オーストラリア
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FFA杯
|
期間通算
|
1990-91 |
シドニー・マルコーニ |
|
NSL |
17 |
0 |
- |
- |
17 |
0
|
1991-92 |
|
17 |
2 |
- |
- |
17 |
2
|
1992-93 |
|
27 |
4 |
- |
- |
27 |
4
|
1993-94 |
|
24 |
4 |
- |
- |
24 |
5
|
1994-95 |
|
18 |
3 |
- |
- |
18 |
3
|
イングランド
| リーグ戦 |
FLカップ | FAカップ
|
期間通算
|
1995-96 |
レスター・シティ |
|
2部 |
16 |
2 |
0 |
0 |
2 |
0 |
18 |
2
|
1995-96 |
ウルヴァーハンプトン |
|
17 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
18 |
0
|
1996-97 |
|
36 |
2 |
4 |
0 |
2 |
0 |
42 |
2
|
1997-98 |
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0
|
1998-99 |
|
31 |
2 |
1 |
0 |
1 |
0 |
33 |
2
|
1999-00 |
|
15 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
16 |
1
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2000 |
広島 |
34 |
J1 |
21 |
3 |
2 |
1 |
2 |
2 |
25 |
6
|
2001 |
9 |
22 |
11 |
1 |
0 |
2 |
1 |
25 |
12
|
イングランド
| リーグ戦 |
FLカップ | FAカップ
|
期間通算
|
2001-02 |
ウォルソール |
|
2部 |
13 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
13 |
3
|
2002-03 |
|
41 |
4 |
3 |
0 |
2 |
0 |
46 |
4
|
2003-04 |
|
19 |
2 |
2 |
0 |
2 |
0 |
23 |
2
|
2004-05 |
|
3部 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
オーストラリア
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FFA杯
|
期間通算
|
2005-06 |
シドニーFC |
10 |
Aリーグ |
21 |
5 |
- |
4 |
2 |
25 |
6
|
2006-07 |
18 |
3 |
- |
4 |
1 |
22 |
4
|
2007-08 |
20 |
4 |
- |
3 |
0 |
34 |
4
|
2008-09 |
21 |
4 |
- |
5 |
4 |
26 |
8
|
2009-10 |
23 |
6 |
- |
0 |
0 |
23 |
6
|
通算 |
豪州 |
Aリーグ
|
103 |
23 |
- |
16 |
7 |
119 |
30
|
豪州 |
NSL
|
103 |
13 |
- |
- |
103 |
13
|
イングランド |
2部
|
189 |
16 |
11 |
0 |
10 |
0 |
210 |
16
|
イングランド |
3部
|
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
日本 |
J1
|
43 |
14 |
3 |
1 |
4 |
3 |
50 |
18
|
総通算
|
438 |
66 |
14 |
1 |
30 |
10 |
482 |
77
|
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 32試合 5得点(1993年-2006年)[11]
オーストラリア代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1993 |
4 |
0
|
1994 |
0 |
0
|
1995 |
6 |
1
|
1996 |
2 |
0
|
1997 |
1 |
0
|
1998 |
0 |
0
|
1999 |
0 |
0
|
2000 |
8 |
2
|
2001 |
10 |
2
|
2002 |
0 |
0
|
2003 |
0 |
0
|
2004 |
0 |
0
|
2005 |
0 |
0
|
2006 |
1 |
0
|
通算 |
32 |
5
|
ギャラリー
脚注
関連項目
外部リンク