1911年(この年、彼の会社がソチェタ・デ・アゴスティニ・エ・カプロニ(Società de Agostini e Caproni)と名付けられている)、カプロニは単葉機製作へと方針を転換し、さらなる成功を収める。1914年にはイタリア初となる全動力式航空機を試験、これは後にカプロニ Ca.31と命名される三エンジン式複葉機であった。1915年にイタリアが第一次世界大戦に参戦した後は、爆撃機の設計及び製造に尽力した[1]。その後、彼の会社はソチェタ・カプロニ・エ・コミッティ((Società Caproni e Comitti)と改称している。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、カプロニは努力の大部分を爆撃機と小型輸送機の設計製造に注ぎ込み、カプロニ社はジェット機の原型となるダクテッドファン方式の実験機であるスティパ・カプロニ及びカプロニ・カンピニ N.1を製造している。この頃、彼の会社はカプロニ・ベルガマスカ(Caproni Bergamasca)やカプロニ・ヴィッゾーラ(Caproni Vizzola)等の子会社を創設しながら大手複合企業のソチェタ・イタリアーナ・カプロニ(Società Italiana Caproni, Milano)へと成長していた[1](レッジャーネ社を子会社化するべく買収したという主張も存在するが、これは都市伝説である。[6])。カプロニは両大戦の間にタリエド伯(Conte di Taliedo)の称号を付与された[1]。
^Guttman, "Crazy Capronis," Aviation History, July 2008, p. 55.
^Green, William, and Gordon Swanborough. The Complete Book of Fighters: An Illustrated Encyclopedia of Every Fighter Aircraft Built and Flown. New York: Smithmark Publishers, 1994. ISBN 0-8317-3939-8, p.108