ジョン・ラファージ
"Figure of Wisdom,"
ジョン・ラファージ (John LaFarge , 1835年 3月31日 - 1910年 11月14日 )は、アメリカ合衆国 の画家 、ステンドグラス 作家。英文による初の日本美術 論と言われるエッセイや、日本滞在記を著し、アメリカにおけるジャポニスム の火付け役と言われている[ 1] 。
略歴
ニューヨーク の裕福なフランス人 家庭に生まれる。カトリック 系の大学に進学後、セントジョンズカレッジ(現フォーダム大学 )で法律 を学んだのち、1856年 に渡欧。パリ では画家のトマ・クチュール に師事。学生時代からラスキン に傾倒していたこともありイギリス ではラファエル前派 から影響を受ける。1857年 に帰国し、画家として活動を始め、壁画 やステンドグラスを多く手掛ける。
1861年 に地質学者 のパンペリーが持っていた浮世絵 で葛飾北斎 を知り、浮世絵の収集をはじめる[ 2] 。1870年 には、パンペリーの著書「Across America and Asia」の中で、「An Essay on Japanese Art」という日本美術の章を執筆。これはフランス のアーネスト・シェノーの1869年 の論文「L'Art Japonais」を元にしているが、英文としては初めての日本美術紹介と言われている。
1886年 7月2日には来日を果たし、日光 、鎌倉 、京都 などを旅して3か月間滞在する。このとき、岡倉覚三 (天心)、フェノロサ 、ビゲロー らを知る。10月帰国。岡倉とは帰国後も交流があり、1897年 にラファージが書いた日本滞在記の『An Artist's Letter from Japan (画家東遊録)』は岡倉に、岡倉の『en:The Book of Tea (茶の本)』はラファージにそれぞれ献呈している。1890年 にはポリネシア にも旅している。
作品
ラファージは、ルイス・カムフォート・ティファニー とともに、アメリカにおけるステンドグラスのパイオニア的存在で、二人でステンドグラス協会を作っていたこともある。ステンドグラスや壁画作品は、トリニティ教会 (ボストン) 、ビルトモア・エステート 、コロンビア大学 のセントポール教会、ブレーカーズ (邸宅) など、現在もアメリカ各地に残っている。
家族
1860年 に、マシュー・ペリー 提督の兄オリバー・ハザード・ペリー の孫のマーガレット・メイソン・ペリーと結婚している[ 3] 。マーガレットの弟で英文学者のトーマス・サージェント・ペリー とは、作家ヘンリー・ジェイムズ を通じて知り合った。
息子2人は建築家、1人は牧師。孫にピューリッツァー賞 作家のオリヴァー・ラファージ がいる。
脚注
参考文献
『画家東遊録』 中央公論美術出版 1981年 - "An Artist's Letter from Japan"の日本語訳(久富貢・桑原住雄訳)
外部リンク