第3代ウォルドグレイヴ伯爵 ジョン・ウォルドグレイヴ (英語 : John Waldegrave, 3rd Earl Waldegrave 1718年 4月24日 – 1784年 10月22日 )は、グレートブリテン王国 の政治家 、軍人 、貴族 。最終階級は陸軍大将。
生涯
出生
初代ウォルドグレイヴ伯爵ジェイムズ・ウォルドグレイヴ と妻メアリー(第3代準男爵サー・ジョン・ウェブ の娘)の三男(次男ジョンは夭折)として、1718年4月28日にヘント で生まれた[ 1] 。
軍歴
1735年5月13日に歩兵少尉として第1歩兵連隊 に入隊、1739年1月8日に大尉(lieutenant and captain )、1743年4月10日に第3(ジョージ・オブ・デンマーク )歩兵連隊(1744年に第3歩兵連隊と改名、のちのバフス (王立イースト・ケント連隊) (英語版 ) )所属の中佐(captain and lieutenant colonel )となる[ 1] 。オーストリア継承戦争 には所属連隊とともに参戦、1745年5月11日のフォントノワの戦い で負傷した[ 1] 。
1750年に第9歩兵連隊 (英語版 ) 隊長に任命され、1755年に第8竜騎兵連隊 (英語版 ) 隊長に転じた[ 1] 。1757年に少将に昇進した後、1758年に第2騎兵連隊 (英語版 ) 隊長に転じた[ 1] 。
1758年より七年戦争 に参戦、1758年6月のサン・マロ襲撃 に参戦した後、ドイツ戦線に移り、1759年8月1日のミンデンの戦い 、1760年7月31日のヴァールブルクの戦い 、1760年10月15日のクローステル・カンペンの戦い で戦功を挙げた[ 1] 。1761年と1762年の戦役でもグランビー侯爵 (英語版 ) の部下として戦った[ 1] 。1759年に中将に昇進、率いる連隊も近衛第2竜騎兵連隊 (英語版 ) に変わった[ 1] 。
1760年にポーツマス総督 (英語版 ) に任命され、1784年に死去するまで務めた[ 1] 。1772年5月26日に陸軍大将に昇進、1773年に率いる連隊がコールドストリームガーズ に変わった[ 1] 。
政治家・廷臣として
兄のウォルドグレイヴ伯爵の影響力により[ 2] 、1747年1月にカンバーランド公ウィリアム・オーガスタス のエー=ド=カン (英語版 ) (副官)およびジョージ2世 の寝室宮内官 (英語版 ) に任命された[ 1] 。同年の総選挙 で政府の支持を受けてオーフォード選挙区 (英語版 ) から出馬、無投票で当選した[ 3] 。1754年 と1761年 の総選挙では妻の実家であるルーソン=ゴア家が勢力を有するニューカッスル=アンダー=ライム選挙区 (英語版 ) から出馬して、無投票で当選した[ 4] 。
1760年から1763年までジョージ3世 の寝室宮内官 (英語版 ) を務めた[ 1] 。1763年4月8日に兄ジェイムズ が死去すると、ウォルドグレイヴ伯爵 位を継承した[ 1] 。貴族院 ではおおむね宮廷に同調し、1765年印紙法 の廃止に反対、チャールズ・ジェームズ・フォックス が1783年に提出した東インド法案に反対した[ 1] 。貴族院での影響力は少なく、1767年以降は1783年のフォックス=ノース連立内閣 以外の全内閣を支持した[ 5] 。
1770年から1784年に死去するまでシャーロット王妃 の主馬頭 を務めた[ 1] 。1781年から1784年に死去するまでエセックス統監 (英語版 ) を務めた[ 1] 。
1784年10月22日にレディング 近くのイン で急死、30日にネイヴストック (英語版 ) で埋葬された[ 1] 。
人物
痩せた人物であり、ホレス・ウォルポール は「痩せすぎて銃弾が当たらない」という趣旨の洒落でそれを茶化した[ 1] 。
子女
1751年5月7日、エリザベス・ルーソン=ゴア(Elizabeth Leveson-Gower 、1784年4月28日没、初代ゴア伯爵ジョン・ルーソン=ゴア の五女)と結婚[ 1] 、3男5女をもうけた[ 2] 。この結婚はゴア伯爵の許可を得ておらず、結婚式が第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー の許可を得てサンドウィッチ伯爵の邸宅で行われたため、ゴア伯爵は激怒してサンドウィッチ伯爵と決裂した[ 2] 。しかし1754年と1761年の総選挙では自身が勢力を有する選挙区でウォルドグレイヴを当選させた[ 4] 。
出典
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Cokayne, George Edward ; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche) (英語). Vol. 12.2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 309–310.
^ a b c Sedgwick, Romney R. (1970). "WALDEGRAVE, Hon. John (1718-84)." . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月13日閲覧 。
^ Sedgwick, Romney R. (1970). "Orford" . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月13日閲覧 。
^ a b Brooke, John (1964). "Newcastle under Lyme" . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月13日閲覧 。
^ Brooke, John (1964). "WALDEGRAVE, Hon. John (1718-84)." . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月13日閲覧 。
^ Cokayne, George Edward ; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas , eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 722.
^ Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary ; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 16.
^ Butler, Alfred T., ed. (1925). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語) (83rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2277.
関連図書
外部リンク