こいつは戦う船になろうとしている。私は茨の道を進まんとしているが、共に征くことを望まぬ者は今すぐ降りたほうがよい。 "This is going to be a fighting ship. I intend to go in harm's way, and anyone who doesn't want to go along had better get off right now."[8] — アーネスト・E・エヴァンズ
T・スプレイグ少将は「どの艦にせよ、5分間の大口径砲をくらって生き延びる艦はいそうになかった」と回想する[23][24]。「ジョンストン」の砲術士官であったロバート・C・ヘーゲン大尉は後に「我々は投石器を持たない少年ダビデのような気分だった」[注 10]と述べている。「ジョンストン」をふくめ7隻の駆逐艦は米軍護衛空母6隻と日本艦隊の間をジグザグ航行しつつ、護衛空母を隠すため2,500ヤード (2,300 m) 以上前方に煙幕を展開した[25]。
7時50分、T・スプレイグ少将は駆逐艦に対して魚雷攻撃を命じた[47]。「ジョンストン」は機関に損傷を受けていたが、他の駆逐艦を砲撃で援護しつづけた[48]。煙幕から現れた時、危うく駆逐艦「ヒーアマン (USS Heermann DD-532)」と衝突しそうになった[49]。8時20分、煙幕から抜け出た「ジョンストン」は左舷方向わずか7,000ヤード (6,400 m) の距離に「金剛」を発見し、それに向かって45発の5インチ砲弾を浴びせかけ上部構造物に複数の命中を記録した。「金剛」からの主砲による反撃は全て外れた[50]。
つづいて「ジョンストン」は敵巡洋艦に砲撃されている護衛空母「ガンビア・ベイ (USS Gambier Bay CVE-73)」を確認し、砲撃を「ガンビア・ベイ」から遠ざけるべく巡洋艦に攻撃をかけ、重巡洋艦に対して4発の命中を記録した[8][51]。米空母群に接近した第五戦隊(羽黒、鳥海)の周辺には着色された巨大な水柱が立ち[注 12]、この頃に被弾した「鳥海」は落伍した[53]。
さらに、「ジョンストン」は日本の水雷戦隊が護衛空母群へ急速に接近しつつあるのを視認し、阻止を試みる[54][55]。この水雷戦隊は、第十戦隊司令官・木村進少将が指揮する軽巡洋艦「矢矧」(第十戦隊旗艦)と第17駆逐隊司令・谷井保大佐指揮下の陽炎型駆逐艦4隻(浦風、磯風、雪風、野分)であった[56][57]。8時48分、木村司令官は「空母二隻 我ヨリノ方位二一〇度二〇,〇〇〇米 我空母二隻ニ突撃ス」と報告し、各艦に魚雷戦の準備を命じた[58]。第十戦隊が魚雷を発射する前、「ジョンストン」は先頭の「矢矧」と交戦し12発の命中弾[注 13]を観測して進路を妨害すると[60]、後続する駆逐艦「浦風」(第17駆逐隊司令駆逐艦)と戦って命中弾を観測した[61]。「矢矧」は「ジョンストン」に対してまず8cm高角砲を発射し[62]、続いて「ジョンストン」の行動を魚雷発射とみて右舷側に回避行動をとった[63][58]。第十戦隊の右側への回避行動は第二水雷戦隊(司令官・早川幹夫少将)の進撃を妨げる結果となり[64][65]、二水戦は空母群への射点につくことができなくなった[66][67]。前述のように「ジョンストン」は既に魚雷を撃ち尽くしていたが、第十戦隊(矢矧)は「ジョンストンが魚雷を発射した」[63][68]と誤認したのである[60][67]。旗艦が回避行動をとったのをみて、後続の第17駆逐隊も「矢矧」同様に右側へ回避行動をとった[69]。態勢を立て直した「矢矧」は9時5分に魚雷7本を発射、続いて敵駆逐艦に砲撃をくわえ9時15分にに沈没したと記録している[58][67]。この駆逐艦は「サミュエル・B・ロバーツ (USS Samuel B. Roberts DE-413)」であった[69]。交戦中、「矢矧」の右舷士官室に「ジョンストン」の主砲弾1発が命中した[66][69]。第17駆逐隊は9時15~23分までに距離10,000メートル (6.2 mi) で魚雷約20本(浦風4、磯風8、雪風4、野分推定4)を発射したが[70]、命中しないか[71][72]、艦砲射撃や艦載機の銃撃で爆破された[73][74]。第十戦隊は「エンタープライズ型空母撃沈1、沈没確実1、駆逐艦撃沈3」と報告した[61][75]。
「ジョンストン」は被弾によって2番砲が破壊され、3番砲直下にも命中弾を受けた[1]。動力が失われているため揚弾機は使えず、1発あたり54ポンド (24 kg) ある砲弾を乗員が弾薬庫から人力で担ぎ上げた[50]。艦橋は40mm機関砲用即応弾庫への被弾によってもたらされた火災と爆発によって惨状をさらしていた。艦尾に移り指揮を継続していたエヴァンズ中佐は、手動で舵を動かす乗員たちへ開け放ったハッチ越しに命令を叫んでいた。主砲塔の1つでは、一人の砲手が「もっと砲弾を!もっと砲弾を!」と叫んでいた。「ジョンストン」は、いまだ生き残っている5隻の護衛空母に日本の巡洋艦と駆逐艦が到達するのを防ぐため戦っていた[8]。
そして多くのジョンストンの生存者が生涯忘れられない光景を目にした。日本の駆逐艦の艦橋で、ひとりの士官が直前まで仇敵だったジョンストンが波間に沈んでいくのをじっと見ていた。その誇り高き船が姿を消した時、この日本の士官は手を帽子のひさしにあてて直立の姿勢をとった……敬礼したのだ。 "And many of Johnston’s survivors then witnessed something they would never forget. There on the bridge-wing of the Japanese destroyer, an officer stood watching as Johnston, his mortal enemy of just moments before, slipped beneath the waves. As the noble ship went down, this Japanese officer lifted a hand to the visor of his cap and stood motionless for a moment . . . saluting." — トマス・J・カトラー、『The Battle of Leyte Gulf 23-26 October 1944』[88]
"New York I (Gondola)". Dictionary of American Naval Fighting Ships. Navy Department, Naval History & Heritage Command. 23 July 2015. 2018年4月13日閲覧。この記述には、アメリカ合衆国内でパブリックドメインとなっている記述を含む。
Cox, Robert Jon (2010). The Battle Off Samar: Taffy III at Leyte Gulf (5th ed.). Agogeebic Press, LLC. ISBN0-9822390-4-1
Cutler, Thomas J. (1994). The Battle of Leyte Gulf 23-26 October 1944. Harpercollins. ISBN978-0-060-16949-7
Hornfischer, James D. (2004). The Last Stand of the Tin Can Sailors (1st ed.). Bantam Books. ISBN978-0-553-80257-3
McDonald, Kevin (2015). Tin Can Sailors Save The Day ! (1st ed.). Paloma Books. ISBN978-1-55571-786-5
関連資料
本文の典拠ではないもの。
Thomas, Evan (2006) (マイクロフィッシュ). Sea of Thunder : four commanders and the last great naval campaign : the Pacific 1941-1945. New York: Simon & Schuster. OCLC1351597419ISBN9780743252218, 0743252217 - 「Dead in the Water」(英語) - 「ニューズウィーク」誌の書評欄、Evan Thomas筆(2006年11月13日付MSNBC掲載(現地時間)、2007年2月8日時点のアーカイブ版)。