シニ・ガイ文化(シニ・ガイぶんか)とは、沿海州南西部の青銅器時代(約4000年前~3000年前)の文化である。[1]
概要
沿海州の新石器時代の土器は編目文・櫛目文[2]・ジグザグ文・渦巻文・幾何学文・雷文などの文様が見られたが、青銅器時代になると土器が無文化し、南西部と東海岸部の間の文化的差異が見られるようになり、南西部に分布したのが約4000年前~3000年前のシニ・ガイ文化である。(東海岸部ではリドフカー文化が分布した。)シニ・ガイ文化からは、青銅器を模倣したと考えられる石製品が出土するが、骨角製品が多く、土器の突出した口縁部には刻みが施される。これは日本の縄文時代晩期終末~弥生時代にみられる刻目突帯文土器と似たものである。
その後、初期鉄器時代にはヤンコフスキー文化→クロウノフカ文化(団結文化)に移行していく。
弥生人の原郷
上記のように、シニ・ガイ文化から刻目突帯文土器と似た土器が発見されている[1]ことから、刻目突帯文土器およびこれを携えた弥生人(土器の無文化をもたらしたハプログループO1b2 (Y染色体)[3]が含まれる)の原郷を沿海州南西部に求める見方がある。
脚注
- ^ a b ロシア極東新石器時代研究の新展開
- ^ 櫛目文土器はハプログループN (Y染色体)が担い手である。沿海州南西部も古くは遼河文明圏であり、遼河人(北部モンゴロイド)由来のハプログループN(Y染色体)が高頻度であったと考えられるが、中国江南より無文土器を携えたハプログループO1b2 (Y染色体)がやってくるなり、父系(Y染色体)がNからO1b2に置き換わったと考えられる。一方の母系(mtDNA)(およびおそらく殆どの核DNA)は遼河人起源のまま保たれ、江南起源Y染色体O1b2-遼河人起源のmtDNA・核DNAのセットが沿海州南西部から主に西日本の日本海側に弥生人として渡来したと考えられる。これが土井ヶ浜遺跡などの弥生人が北方系の形態を持つにもかかわらず、Y染色体のみが南方系である所以である。
- ^ 崎谷満 (2009)『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』勉誠出版
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