当時の集落は、セーヌ川の左岸、現在の6区と7区にあたる領域を含んでいた。12世紀までこの小教区を管轄していたのはサンピエール教会で、現在その場所にはウクライナのカトリック教会が建っている。1000年頃に石造建築が建設された。その頃は、大修道院が栄華を極め、巨大な知識的影響力を持った時代であった。フール通り(fr:Rue du Four)の名前は、この当時の大修道院の竃(フランス語でfour)に由来する。1180年頃、サン=シュルピス教会が管轄の小教区教会となった。
地区内の建物は17世紀当時の面影を今に残すものの、カフェからレストラン、アートギャラリー等があり、当時の小売店や書店・出版社は姿をひそめ、現在は主にファッションの高級ブティック等となっている。
1961年、シンガーソングライターのギィ・ベアール(fr:Guy Béart)が『それっきりもう何もない』(Il n'y a plus d'après)を作り[3]、サン=ジェルマン=デ=プレを歌った。この歌は既述のジュリエット・グレコによってカバーされた。同じくシンガーソングライターのアラン・スション(fr:Alain Souchon)は、ベアールの歌に描かれた地区の雰囲気は現在なくなってしまったと、自ら作ったシャンソン・『パリ左岸』(Rive gauche à Paris)に自らのノスタルジーを歌った。
^『…Egalement le Procope, haut lieu des Lumières mais où contrairement à Voltaire, « il semble que Diderot et Rousseau n’y sont pas tant venus que cela », nuance Jean-Christophe Sarrot. Il arrivera néanmoins aux encyclopédistes de s’y retrouver, ainsi qu’au café Landelle, rue de Buci.』Diderot le Parisien