サンドロまたはサンドロ・ローザ[2]ことサンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ(Sandro Chaves de Assis Rosa、1973年5月19日 - )はブラジル・サンパウロ州出身の[3]元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック)[3]だが、ミッドフィルダーでもプレー出来た。渋谷幕張高校卒業。
来歴
現役時代
1989年、宗像マルコス望にスカウトされ[4]、日本の渋谷幕張高校にサッカー留学生として入学。同校在学時に千葉県選抜の一員として国体に2度出場し、1990年福岡大会で優勝[4]、1991年石川大会で準優勝。両大会ともベストイレブンに選出された。
高校卒業と同時に、Jリーグ開幕をひかえていたジェフユナイテッド市原に入団。外国籍枠(93年1月に宮澤ミシェルが帰化)に苦しむも[5]、1995年からは市原のレギュラーCBとして定着。1997年にジャパンフットボールリーグで優勝争いを展開していた本田技研へ移籍。
1998年には翌年からプロ化し新設されるJ2リーグへの参加が発表された東京ガスFC(翌年よりFC東京)へと完全移籍。長身を活かして制空権を握り[5]1対1のハードマークを武器としつつも、クリーンなプレーでコンスタントに活躍した[6]。2001年をもって退団。
2002年、当時J2に所属した大分トリニータへ完全移籍[7][8]。DFの要として[9]欠かせない存在となり、守備の安定に大きく貢献。チームをJ1昇格へ導いた。
高校入学から日本で生活している事もあり流暢に日本語を操り[10]、非常に真面目な人柄で[11]、市原在籍時には自転車で練習場に通う姿が見られた。1999年には日本に帰化し日本代表を目指したい気持ちがあることをTVのインタビューで語ったこともあったが、これ以後に帰化申請が行なわれたという発表は無い。
2006年よりセアラーSCに加入し[3]、同年限りで現役を引退。
指導者時代
2014年よりFC東京でチームメートだった呂比須ワグナーと行動を共にするようになり、呂比須が監督を務めるボタフォゴFC[12]のコーチを始めとして、同年4月にはクリシューマEC[13][12]同年9月にはアトレチコ・ゴイアニエンセ[14][12]でコーチを務めた。
2015年以降も、ゴイアスEC[15][12]及びCAブラガンチーノ[12]、2016年にはアトレチコ・ゴイアニエンセ[16][12]及びサンパイオ・コヘイアFC[12]、2017年にパラナ・クルーベ[17][12]と、呂比須の下での指導を続けた。
2017年5月、呂比須とともにアルビレックス新潟のコーチに就任[12][2]。
所属クラブ
個人成績
個人タイトル
脚注
関連項目
外部リンク