ソーブロー (SoBro) 地区という名前は、マンハッタン区にある比較的裕福な地域であるソーホー地区(「ハウストン通りの南 (South of Houston)」の頭文字2文字をとって「ソーホー(SOHO)」と名づけられた)を参考にしたものである。地区自体はヒップホップ文化誕生の地として人気を集めている。
地区の名は、1940年代、ブロンクス区の最南端部に位置するモット・ヘブン地区をブロンクス随一の貧民窟であると認識した社会福祉士のグループが使い始めた。最初はモット・ヘブン地区とメルローズ地区のみを指す名称であったが、サウス・ブロンクス地区の境界線は、1970年代までには、ブロンクス横断高速道まで拡張し、ハンツ・ポイント地区、モリセニア地区、ハイブリッジ地区までを含むようになった。この時代にブロンクス区では、白人たちが郊外へと脱出していき、大家たちが所有権を放棄した建築物の廃屋化が進み、政府は何の対応策も講じないなど、最悪の時代を迎えていた。大家の中には、不動産物件を、放火魔を雇って燃やすことで保険金を稼ごうとしようとしたという噂まである。実際、当時一晩でサウスブロンクス地区だけでも3~4件の火事が生じていたという。現にユーチューブ等のWeb媒体でサウス・ブロンクス (South Bronx) を検索すると、1970年代~1980年代にかけての、まるで戦争直後の爆撃を受けた焼野原のような、サウスブロンクス地区の記録が多数残されている。当時のレーガン大統領ですら、がれきの山が延々と続くサウスブロンクス地区を視察して絶句したという。また当時、大家またこの地区を縄張りにするマフィアによるヘロインの密売行為も行われていた。この結果、地区を襲った混沌状況をメディアが取り上げていく中で、「サウス・ブロンクス地区」という言葉が、アメリカ中に一般的な用語として定着していった。