サイド・ナズルル・イスラム(Syed Nazrul Islam、ベンガル語: সৈয়দ নজরুল ইসলাম、1925年 - 1975年11月3日)は、バングラデシュの政治家、アワミ連盟の指導者。バングラデシュ独立戦争においては、バングラデシュ臨時政府の副大統領と宣言された。彼は、シェイク・ムジブル・ラフマンの不在時には、大統領代行を務めた[1]。
生い立ち
サイド・ナズルル・イスラムは、1925年に、ベンガル保護領(英語版)のキショレガンジ(英語版)(当時のマイメンシン県)ジャショダル・ユニオン (Jashodal Union) のビル・ダンパラ (Bir Dampara) 村で、ベンガル人ムスリム(英語版)のサイイドの家柄に生まれた[2]。ダッカ大学で歴史と法学の学位を取得したが、在学中はムスリム連盟の学生指導者として活動した。サイドは、大学のクリケットとホッケーのチームで主将を務め、パキスタン運動(英語版)に参加した。1949年にはパキスタンの公務員となったが、1951年に退職して、マイメンシンのアナンドモハン・カレッジ (Anandmohan College) の歴史学教授となり、同地で法律家としても活動した[3]。
政界
サイド・ナズルルの政治経歴は、1952年にアワミ・ムスリム連盟に参加し、ベンガル語国語化運動に加わったところから始まったが、これによって彼はパキスタン警察に逮捕された。やがて、いくつもの地方や中央の党の要職を経て、党首シェイク・ムジブルの側近となった。6項目要求運動 (the Six Point Demand movement) の際には、投獄された[4]。1970年にはパキスタン国民議会の議員に選出され、短期間ながら多数派の指導者代行も務めた。1971年3月25日にムジブルがパキスタン軍によって逮捕されると、サイドは、他の党幹部たちとともにムジブナガル(英語版)へ逃れバングラデシュの独立を宣言した[5]。バングラデシュの大統領にはムジブルが選ばれたが、サイドが大統領代行に選ばれ、タジュディン・アフマド(英語版)が首相となった。サイドは、ナショナリズムの大義を主導し、ムクティ・バヒニ(英語版)のゲリラ活動と連携し、インドをはじめ各国の支持を獲得した[3]。
バングラデシュの独立後、サイドは産業大臣に任命され、また、議会の副代表、憲法委員会委員となった。1975年、ムジブルが他の政党の活動を禁止して、大統領として全権を掌握した際には、サイドはアワミ連盟から改称したバングラデシュ・クリシャク・スラミク・アワミ連盟(英語版) (BAKSAL) の副議長に任命された[3]。
死
1975年8月15日のムジブル・ラーマンの暗殺(英語版)を受け、サイドは、タジュディン・アフマド、アブル・ハスナット・ムハンマド・カマルザマン(英語版)、ムハンマド・マンスール・アリ(英語版)ら、ムジブルに忠実な者たちととも逃亡し身を潜めたが、結局は新大統領カンデカル・モシュタク・アハメド(英語版)の政権によって逮捕された。彼ら4人の指導者たちはダッカ中央刑務所(英語版)に投獄され、11月3日に、仔細不明のミステリアスな状況の下で暗殺された。この日はバングラデシュでは「Jail Killing Day」として毎年記念されるようになっている[6]。キスマット・ハシェム大尉(解任)がこの件で終身刑となった。彼は心筋梗塞のため、カナダで死去した[7]。
遺されたもの
キショレガンジにある国営のシャヒド・サイド・ナズルル・イスラム医科大学(英語版)の名称は、彼を記念したものである[8]。サイド・アシュラフル・イスラム(英語版)は、サイド・ナズルル・イスラムの息子である[9]。
脚注
- ^ “Documents between India and Bangladesh”. The Daily Star. http://www.thedailystar.net/top-news/documents-between-india-and-bangladesh-92683 21 June 2015閲覧。
- ^ “Remembering the Four Leaders”. The Daily Star. http://archive.thedailystar.net/beta2/news/remembering-the-four-leaders/ 21 June 2015閲覧。
- ^ a b c Islam, Sirajul; Miah, Sajahan; Khanam, Mahfuza; Ahmed, Sabbir, eds. (2012). "Islam, Syed Nazrul". Banglapedia: the National Encyclopedia of Bangladesh (Online ed.). Dhaka, Bangladesh: Banglapedia Trust, Asiatic Society of Bangladesh. ISBN 984-32-0576-6. OCLC 52727562. Retrieved 19 November 2021.
- ^ Ahsan, Syed Badrul. “Recalling Six Points”. The Daily Star. http://archive.thedailystar.net/newDesign/news-details.php?nid=237295 21 June 2015閲覧。
- ^ Palma, Porimol. “On the road to freedom of Bangladesh”. The Daily Star. http://www.thedailystar.net/backpage/the-road-freedom-77714 21 June 2015閲覧。
- ^ “Remembering the four national leaders on Jail Killing Day”. bdnews24.com. http://bdnews24.com/bangladesh/2014/11/03/remembering-the-four-national-leaders-on-jail-killing-day 21 June 2015閲覧。
- ^ “Jail killing convict Kismat Hashem dies in Canada”. The Daily Star. http://www.thedailystar.net/country/jail-killing-convict-kismat-hasem-dies-canada-73937 21 June 2015閲覧。
- ^ “Medical college after Syed Nazrul Islam to be set up at Kishoreganj”. The Financial Express (Dhaka). http://www.thefinancialexpress-bd.com/old/more.php?news_id=138249&date=2012-07-28 21 June 2015閲覧。
- ^ “Sheikh Hasina fires trusted Syed Ashraful as LGRD minister”. bdnews24.com. http://bdnews24.com/bangladesh/2015/07/09/sheikh-hasina-fires-trusted-syed-ashraful-as-lgrd-minister 14 April 2016閲覧。