コブレンツ中央駅 (コブレンツちゅうおうえき、ドイツ語 : Koblenz Hauptbahnhof )は、ドイツ 、ラインラント=プファルツ州 コブレンツ にあり、ライン川 - モーゼル川 - ラーン川 地域における鉄道交通の核となる鉄道駅 である。鉄道の分岐点に位置しICE も停車する駅で、コブレンツ南部のコンスタンティン大公要塞 (ドイツ語版 ) の下にあり、1902年に営業を開始した。
ライン川左岸線 上に位置し、モーゼル線 およびラーンタール線 (ドイツ語版 ) の分岐点に近く、またホルヒハイム橋 (ドイツ語版 ) の対岸にライン川右岸線 と連絡する。1日約40,000人が利用する。駅前広場にはバスターミナルとパビリオンがある。
2002年から、駅舎は世界遺産 「ライン渓谷中流上部 」の一部となっている。
歴史
コブレンツ周辺地区における鉄道施設の地図
ライン鉄道の駅
1844年にケルン とボン を結ぶ鉄道が完成し、1856年にはローランツエック (ドイツ語版 ) まで延長され、さらにコブレンツまで鉄道が延長されることになった。ライン鉄道 (ドイツ語版 ) の最初の列車は1858年11月11日に、新しく建設されたモーゼル橋 (ドイツ語版 ) を渡りコブレンツに到着した。橋とライン鉄道の建設により、プロイセン王国 の都市防衛設備に初めて穴が開けられた。住民の歓呼の中を、花輪で飾られた機関車「ヴィンツブラウト」(Windsbraut 、「つむじ風」)が牽引する列車が、フィシェル通り (Fischelstraße ) に仮設でハーフティンバー様式 で建てられたライン鉄道の駅に到着した[ 1] 。
1859年にコブレンツからビンガーブリュック (ドイツ語版 ) まで路線が延長され、ライン鉄道の駅は正式な駅舎に建て替えられた。1864年には鉄道網がさらに拡張され、プファッフェンドルフ橋 (ドイツ語版 ) が開通した。この橋は当初は純鉄道橋 で、左岸線と右岸線を接続していた。プファッフェンドルフ橋の建設期間中、事前に左岸と右岸と結ぶ暫定策として、シュトルツェンスフェルス-オーバーラーンシュタイン航路 (ドイツ語版 ) が運航された。プファッフェンドルフ橋を最後に列車が渡ったのは、1914年8月の第一次世界大戦 勃発時であった。新しい中央駅の開業に伴い、このライン鉄道の駅は1902年に営業を終了した。第二次世界大戦 に際して激しく破壊を受け、建物は1960年代初頭に取り壊された。現在、駅の跡地にはアム・ヴェーラースホーフ通りとレーアセンター (ドイツ語版 ) の駐車場への坂道がある。
モーゼル駅
1878年10月にギュルス橋 (ドイツ語版 ) が開通し、その1年後にはライン川 に架かるホルヒハイム橋 (ドイツ語版 ) も完成した。1879年にモーゼル線 が開通し、モーゼル駅も開設された。地域の規則により、駅舎はハーフティンバー様式で建設された。コンスタンティン要塞の真下、カールテウザー通りとレーア通りの間、連邦道9号 (ドイツ語版 ) の下の駐車塔のあるところにあった。これによりコブレンツの鉄道網の拡張が完成し、またベルリン とメッツ(現在のフランス領メス )を結ぶ戦略鉄道、いわゆる大砲鉄道 (ドイツ語版 ) (カノーネンバーン)の区間も開通した。モーゼル駅は1902年に恒久建築に置き換えられ、コンスタンティン要塞の真下に移転して中央駅になった。
中央駅の建設
皇帝ヴィルヘルム2世 のライン鉄道の駅への到着、1893年
1905年のコブレンツ中央駅
ウルム鉄道協会の古い蒸気機関車の運行、コブレンツ中央駅にて
プロイセンのコブレンツにおける都市防衛設備は1890年には廃止され、撤去された。市街地は古い城壁内側の狭い領域だったのが外縁に拡大し、城壁の南側には新しい街区ができ急速に発展していった。2か所の駅をどちらも維持していくのは困難なこととなっていた。通しで運行する列車は、900 m で2回の停車が必要で、トリーア から来て右岸線で北の方へ行く乗客は、モーゼル駅からライン鉄道の駅へ徒歩か馬車で移動しなければならなかった。このため、中央駅を建設することを求める声が高まり、新しく大きな旅客駅を建設する計画が開始された。
フィシェル通りにあった小さなライン鉄道の駅は廃止となり、1899年から1902年にかけて新しい南側の街区、モーゼル駅の近くに大きな新しい駅が建設された。設計は政府の建築官カール・ビーカー (ドイツ語版 ) が行い、州の建築監督官フリッツ・クリングホルツ (ドイツ語版 ) が改良した[ 2] 。中央駅(当時は正式にCentralbahnhof と称されていた)は、1902年5月1日に開業した。通過式配線の駅は、中央と両側のパビリオンを備えた宮殿 様式で、しかし機能的な観点から完全な対称ではない形で建設された。ファサードは凝灰岩 と黄色砂岩 で造られたネオバロック様式となっていた。駅舎は全長96 mあった。プラットホーム を覆ってトレイン・シェッド が建てられた。北側のウィングには、豊かに飾られた貴賓室があり、屋外階段を通じて1番線ホームへ直結する通路があり、1905年にコブレンツに皇帝が来た際にはここを利用した。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦 では、空襲 (ドイツ語版 ) により駅舎と番線は激しく破壊された。再建工事は1946年に開始された。プラットホーム上のトレイン・シェッドと駅舎の塔は無くなった。再建された駅舎は歴史的な当初の駅舎と異なり、単純化されて飾りのないものとなった。機能的なプラットホーム上屋が設置された。ライン線は1957年に電化 された。1967年に新しい信号扱所 が運用を開始し、1977年にはロビーが改装された。トラベルセンターは1984年に設置された。
1998年には、駅前広場と駅舎の改装工事が開始され、駅開業の100周年となる2002年までに完成させることになった。しかし建設会社のフィリップ・ホルツマン (ドイツ語版 ) の倒産により、完成は遅れることになった。改装された駅の開業は2005年5月となり、現代的なホール、ドイツ鉄道 の旅行センター、売店、レストラン、バーなどが設置された。
2008年9月22日からは駅のバリアフリー 化工事が開始された。プラットホーム北側にあったすべての荷物用エレベーター、およびDBレギオ中央営業所の貨物エレベーターは撤去された。かつての荷物運搬用通路は改装されて、荷物用エレベーターのあったところにガラスのエレベーターが設置され、2010年6月より供用を開始した。1番線プラットホームは改築され、新しい屋根が付いた。古い屋根には石綿 を含有したファイバーセメントが使われていたため、いくらか複雑なものとなった。この理由で、プラットホームは2010年5月までの数か月に渡り閉鎖され、発着する列車は他のプラットホームに移された。また同じく新しくなったものとしては旅行者援護所 (ドイツ語版 ) があり、北側入口に隣接するようになって、従来の4/5番線プラットホームの仮設備は無くなった。プラットホームはドイツ鉄道のコーポレートデザインの設備で更新されており、また視覚障害者向けの接触式案内が備えられた。
ドルトムント中央駅 において爆発物がみつかった翌日の2006年8月1日、コブレンツ中央駅においても放置されていたスーツケースにプロパンボンベと爆発物が発見された[ 3] 。爆発物の見つかった2本の近郊列車はケルン中央駅 からのものであった。連邦刑事局 による捜査によれば、これはレバノン のテロリストによるテロ攻撃の試みであったとされ、技術的な問題により失敗したものだとされた。もしこれらの爆発物が爆発していれば、2005年のロンドン同時爆破事件 のときのように、多くの犠牲者を出していたはずであった。その後何度かコブレンツ中央駅に対して爆破予告があったが、いずれも根拠のないものであった。
コンスタンティン大公要塞から見たコブレンツ中央駅、右側が南郊外
駅前広場
バスターミナルとパビリオンのある駅前広場
駅と番線の様子
駅前広場は1998年から2000年にかけて改築された。コブレンツ市街や近隣地区と結ぶ主要なバス路線が出るバスターミナルに隣接して、店舗や旅行者向け案内センターのあるパビリオンがある。また、タクシースタンド、コブレンツ中央郵便局、2か所の銀行、連邦警察局 の警察署、州立コブレンツ図書館、そして大きな地下駐車場などがある。2008年5月以来、広場の脇は建設ブームとなっている。2009年9月28日には、コブレンツ治療センターの新しいビルができた。もう1棟も建設中である。また周辺環境の改良も進められており、1955年に建てられたかつてのトト・ロット (ドイツ語版 ) 高層ビルは1998年から1999年にかけて改築された。
交通
コブレンツ中央駅には4面10線のプラットホームと番線があり、1から5と8、9番線が通過式で、104、105、109番線が頭端式である。
左ライン線の北側からはほぼすべて、1から5、8、104番線に到着でき、モーゼル線からは西側の5、8、9番線のみである。左ライン線の南側からは1から5、105番線を使用でき、ラーンタール線と右ライン線からは、北向きの頭端式ホームである104番線以外のすべての番線に到着できる。
長距離および近郊交通
長距離交通では、コブレンツはICE 、インターシティ 、ユーロシティ などの列車で結ばれており、これによりドイツのほとんどの大都市にコブレンツから直接行くことができる。近郊交通ではレギオナルエクスプレス とレギオナルバーン が200 km 以内にある都市、ザールブリュッケン 、ボン、ケルン (ルール地方 )、エメリヒ・アム・ライン (ドイツ語版 ) 、ヴェーゼル (ドイツ語版 ) 、リンブルク・アン・デア・ラーン 、ヴァイルブルク 、ヴェッツラー 、ギーセン 、ボッパルト 、ビンゲン・アム・ライン 、マインツ 、リューデスハイム・アム・ライン 、ヴィースバーデン 、フランクフルト・アム・ラインと結んでいる。
ヴェクトゥス交通 (ドイツ語版 ) がラーンタール線をコブレンツからリンブルクまで運行している。トランス・レギオ (ドイツ語版 ) が左ライン線をケルンからコブレンツまで(MRB26系統)、そしてコブレンツからマインツまで(MRB32系統)運行している。右ライン線については、フィアス (ドイツ語版 ) がラインガウ線としてノイヴィートからコブレンツを通りラーンシュタイン、リューデスハイム、ヴィースバーデン経由フランクフルト・アム・マインまで運行している。
長距離交通
近郊交通
これはコブレンツ中央駅に停車する旅客系統の概要である。フィアスの運行するラインガウ線以外の11系統はすべて、コブレンツ中央駅を通過せず、ここを始終着とする。
系統
路線名
経由
時隔
備考
RE 1
モーゼル-サールエクスプレス
コブレンツ - ブライ - ヴィットリヒ - トリーア - ザールブルク - ザールブリュッケン
2時間おき
2014年12月から1時間おきにルクセンブルクまたはカイザースラウテルンまで
RE 2
ミッテルライン-マインエクスプレス
コブレンツ - ボッパルト - ビンゲン(ライン) - マインツ - フランクフルト(マイン)空港近距離 - フランクフルト(マイン)
2時間おき
2014年12月までの請負
RE 5
ラインエクスプレス (ドイツ語版 )
コブレンツ – アンダーナッハ - レマーゲン - ボン - ケルン - ケルン・メッセ/ドイツ - デュッセルドルフ - デュースブルク - エメリヒ
1時間おき
2016年からライン-ルールエクスプレスとなる計画
RE 8
ライン-エルフトエクスプレス (英語版 )
コブレンツ – ノイヴィート - ケルン/ボン空港 - ケルン・メッセ/ドイツ - ケルン - グレーヴェンブローホ - メンヒェングラートバッハ
1時間おき
SE 10
ラインガウ線
ノイヴィート - コブレンツ – リューデスハイム(ライン) - ヴィースバーデン - フランクフルト(マイン)
1時間おき
フィアスがFLIRT車両で運行
RE 25
ラーンタールエクスプレス
コブレンツ – リンブルク(ラーン) - ヴァイルブルク - ヴェッツラー - ギーセン
2時間おき
2014年12月までの請負契約
RB 25
ラーンタール線
コブレンツ – バート・エムス - ディーツ - リンブルク(ラーン)
1時間おき
2014年12月までの請負契約
MRB 26
ミッテルライン線
コブレンツ – アンダーナッハ - レマーゲン - ボン - ケルン - ケルン・メッセ/ドイツ
1時間おき
2008年12月まではトランスレギオによるDESIRO ML車両での運行であった
RB 27
ライン-エルフト線
コブレンツ – ノイヴィート - ボン=ボイエル - ケルン・メッセ/ドイツ - ケルン - グレーヴェンブローホ - メンヒェングラートバッハ
1時間おき
2014年12月までの請負契約
MRB 32
ミッテルライン線
コブレンツ – ボッパルト - オーバーヴェーゼル - ビンゲン(ライン) - インゲルハイム - マインツ
1時間おき
2008年12月まではトランスレギオによるDESIRO ML車両での運行であった
RB 81
モーゼル線
コブレンツ – コッヘム(モーゼル) - ブライ - ヴィットリヒ - トリーア
1時間おき
2009年12月まではDBレギオによる運行
脚注
参考文献
Energieversorgung Mittelrhein GmbH (Hrsg.): Geschichte der Stadt Koblenz. Gesamtredaktion: Ingrid Bátori in Verbindung mit Dieter Kerber und Hans Josef Schmidt
Bd. 1: Von den Anfängen bis zum Ende der kurfürstlichen Zeit. Theiss, Stuttgart 1992, ISBN 3-8062-0876-X .
Bd. 2: Von der französischen Stadt bis zur Gegenwart. Theiss, Stuttgart 1993, ISBN 3-8062-1036-5 .
外部リンク