ケートス
コリントス 産の壺に描かれたケートス、ペルセウス 、アンドロメダー [ 注 1]
くじら座 としてのケートス(ヨハン・バイエル )
アンドロメダー の救出(シャルル=アメデー=フィリップ・ヴァン・ロー )
ヘーシオネー をケートスから救うヘーラクレース
アンドロメダー が縛り付けられたとされる岩(ドイツ語版 )
ケートス (古希 : κῆτος , kētos )はクジラ 類やアザラシ などの「海獣 」を意味するギリシア語 だが、ギリシア神話 においては本来の姿をやや離れ、一種の怪物 として登場する。また、ラテン語 化された「ケートゥス 」や「セタス 」(cetus )の呼称で参照されることもある。
今日において鯨類 を「Cetacean 」や「Cetacea 」と呼ぶのはケートスが語源とされる。
また、ケートスに因んで「Cetus 」や「megakētēs [ 注 2] 」などの呼称が船舶の名前に用いられる事例もあった[ 1] 。
概要
個別の存在だけでなく巨大な海洋生物全般を指す場合もある。
大きく膨れたクジラ やイルカ に似た胴体に、イノシシ や犬 やライオン やワニ などにも似た頭部を持ち、アシカ の様な胸びれまたは犬やライオンの様な前足を持つ。下半身は魚の様で鱗を持ち、尾鰭 は扇形で二つに割れている。口や鼻から水を吹くとされることもある。
頭蓋骨の長さが12メートル 以上、背骨は1キュビット の厚さがあり、横たわる骨格だけでゾウ よりも高さがあったとされる[ 注 3] [ 2] 。
後述の通り、ケートスを竜 (ドラゴン )と混同する事例が多いため、数々の絵画にてドラゴンや大蛇の様な姿をしていたり、口から火炎や煙を吐く描写がされていたり、後ろ足や翼や長い牙を持ち上陸している場合もある。
概して、人間側の視点から見た英雄によって倒される怪物としての印象が強いが、登場するすべての説話 において神々に仕える 存在(神獣 )として描写されており、後述の通り、神々や重要人物等を助けたり、人間の魂を導くなどの伝承も残されている。
なお、古典的なスキュラ 、カリュブディス 、ゴルゴーン 、メドゥーサ [ 注 4] の描写には、ケートスとデザイン上の共通性がみられる[ 3] 。メドゥーサに関しては、物語上の役割(ケートスに対して使われた武器)にフンババ との類似性を指摘する声もある[ 4] 。
ギリシア神話や関連神話におけるケートス
出自についてはゼウス ないしポセイドーン によって作られたとも、テューポーン とエキドナ の間に生まれた[ 5] とも言われており、伝承によって物語上の描写に差異がある。
最も有名なエピソードに於いて、ケートスはポセイドーンによって作り出され、エチオピア 人の王国を崩壊させるために送り込まれている。王妃カッシオペイア が自らの美貌を誇示し、女神ヘーラー や海のニュンペー 達よりも美しいと吹聴したため、ポセイドーンの怒りを買った。
ポセイドーンが仕向けたケートスを鎮めるには、国王と王妃は愛娘(王女)であるアンドロメダー を生贄にするしかなく、アンドロメダーは鎖に繋がれてヤッファ の海岸の岩(ドイツ語版 )に縛り付けられた。ほどなくしてケートスが海から現れ、束縛されたアンドロメダーがケートスに喰われようとした今際に、メドゥーサ を退治した英雄ペルセウス [ 注 5] がこの地を通りかかった。王女を救うためにペルセウスは怪物と戦うことを決意し、激しい攻防の末にケートスはペルセウスによって退治され[ 注 6] 、アンドロメダーは無事に救われてペルセウスの妻となったという。
ヘーシオネー を救うために(ペルセウスの子孫である)ヘーラクレース によって倒される逸話もある[ 6] 。
上記の通り、神々の意思によって暴れる恐ろしい怪物としてだけでなく、ケートスがイーノー とメリケルテース を救う描写[ 注 7] [ 7] やネーレーイス や天使 等を運ぶ等の描写が様々なレリーフ 等にて見られる事例も少なくない。
エトルリア神話におけるケートス
エトルリア に伝わったケートスは、この地における信仰 (英語版 ) において死者の魂を来世に運ぶプシュコポンポス (英語版 )の役割を担ったため、骨壷や石棺に多くのケートスや海豚 や海馬 (ヒッポカムポス )が描かれている[ 8] [ 9] 。
また、ネタンス はケートスを象徴した兜を装着する描写がされる場合がある。
キリスト教や他の神話におけるケートス
アスピドケロン とケートスを同一視する絵画(ベルンのフィシオログス )
ギリシャ語訳聖書 (七十人訳聖書 )のヨナ書 第二章の中で、嵐を鎮めるために海に投げ込まれたヨナ を救うために、神はケートスを遣わしたとされている[ 8] 。他にも創世記 とマタイによる福音書 の記述にもケートスが登場する。
ギリシャ語訳聖書が一般的だった初期キリスト教 の教会装飾には、ケートスと考えられる海獣のモチーフが多く見られる。しかし、ギリシャ語訳聖書の原本であるヘブライ語聖書 や、その翻訳である共同訳聖書 では神が遣わしたのは「大きな魚」となっており、ケートスが現れるのはギリシャ語訳聖書とウルガタ聖書 の一部である。古代ローマ文化の影響が過去となり、ギリシャ語訳聖書を使用しなくなった西方キリスト教圏では、ゴシック期 にはケートスのイメージは巨大魚のイメージに置き換わっている[ 8] 。
タンニーン (英語版 ) は七十人訳聖書 やウルガタ にてケートスと混同され、「クジラ」や「竜 (ドラゴン )」という翻訳がされる場合もある[ 10] [ 11] 。
ユダヤの神話 では、リヴァイアサン やラハブ (英語版 )と混同される場合もあった[ 12] 。
また、北欧 の伝承にある怪物であるアスピドケロン がケートスと同一視される事例も散見される。
竜やドラゴンやマカラ等との関連性
ネーレーイス と智天使 を運ぶケートス(ガンダーラ ) [ 注 8] [ 13]
アプロディーテー に付き従う海豚 型の生物や、竜 やマカラ 等の初期のデザインの一部[ 注 9]
ケートスとギリシャ神話の「ドラコン [ 注 10] 」には、姿だけでなく神話上の類似性が目立ち、ケートス自体がドラゴン として扱われる場合もある[ 2] [ 3] [ 14] 。また、ケートス自体が現在の「ドラゴン」の源流を形作ったという意見もある[ 15] 。
ケートスの姿は、東洋における竜 やマカラ [ 注 11] に影響を与えたという意見もある[ 13] [ 16] 。ジョン・ボードマン (英語版 ) による調査[ 16] では、古代ギリシャの文化が各地に拡散して影響していく中で、同様にシルクロード によってギリシャ神話などにおける神々や伝説上の生物のイメージが東方に伝わり[ 注 12] 、竜[ 注 13] やマカラ[ 注 14] のデザインがケートスとの接触後に近代の姿の原型に変化したとされる[ 注 15] [ 16] 。
後年ではラクダ の頭を持つとされる中国の竜は、最初期の竜のデザインの一つが「猪竜」または「玉猪竜(zhūlóng )」と呼ばれる物であり[ 注 16] 、ケートス[ 17] [ 2] の他にもギリシャ神話や古代西洋美術にて普遍的にみられる鯨 や海豚 の描写の一つである猪 に似た頭を持つ点と類似性がある。
ティアマト のイメージや、竜の姿をした神であるヤム と彼の兄弟であるモート が、リヴァイアサン と共にケートスのイメージに影響を与えたという説も存在する[ 2] が、ケートスが由来するギリシア神話 の形成は紀元前15世紀 にまで遡り、リヴァイアサンの起源である旧約聖書 よりも古い。
七十人訳聖書 やウルガタ においては、ケートス自体が「リヴァイアサン (レヴィアタン )」として翻訳されたり、シュメール神話 の七つ頭の大蛇(英語版 )[ 注 17] やロタン(英語版 )と混同される場合もある[ 10] [ 11] 。
上記の通り、ユダヤの神話 の中でリヴァイアサン やラハブ (英語版 )などのドラゴンがケートスと混同される場合もあった[ 12] 。
鯨類 と竜 やドラゴン に該当する存在 [ 注 18] を関連付ける伝承は、上記の通りケートスと混同されてきたヨナ書 の「大魚」[ 18] やタンニーン (英語版 ) やリヴァイアサン [ 19] およびバハムート の他、古代中国や韓国やベトナムの鯨神 [ 20] 、マオリ神話 のタニファ [ 21] 、十二支 の辰 [ 22] [ 23] 等世界各地に存在し、鯨類の骨が竜 (ドラゴン )伝承の発端となった可能性もある[ 24] [ 25] 。
関連画像
脚注
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注釈
^ 「ΚΗΤΟΣ 」 の字が添えられている。
^ 「μεγακήτης (ケートスの異名)」
^ 骨格の高さだけでも船舶と変わらないほどに大きいとされる場合もある。
^ ペルセウスがケートスを討伐する際に、メドゥーサの首を使うのは普遍的な描写の一つである。
^ ペガサス やグリフォン に乗って現れるとする場合と、魔法の靴によって空を飛んで現れるとする場合などがある。
^ 剣で倒されたとする話と、メドゥーサの首を突き付けられ石と化したとする話とがある。
^ パライモーン を救った海豚 の代役になっている。
^ ガンダーラで発見されたマカラ のレリーフ にもケートスの影響を指摘する声もある。
^ グラフトン・エリオット・スミス (1919年)『The Evolution of the Dragon 』より。
^ 「drakōn 」、後の西洋のドラゴン の原型とされる。
^ 鯱 や金毘羅(クンビーラ)等のルーツともされる。
^ 本著では、ケートスの他にも、タイ のカオ・サム・カエオ遺跡 (英語版 ) におけるグリフォン の彫像や、甘粛省 の靖遠県 にてヒョウ に跨るディオニューソス の彫像が発見されていることも言及されている(第222頁)。
^ 前漢 以前と以降では、中国の竜の頭部のデザインに明確な変化が見られるとされ、様々な古代ギリシャの文化が拡散していった時期と合致しており、該当時代のケートスと竜のデザインの類似性が指摘されている(第221-224頁)。
^ ヘレニズム時代 に見られたアプロディーテー に付き従う海豚 型の生物とマカラの類似性が強く(第212頁)、ケートスとマカラのデザインの共通性も見られるとされ(第260頁、第287頁、第360頁)、また、コルカタ博物館 に展示されているまぐさ石 では、ケートスとマカラとキューピッド が同一のレリーフ 内にて互いに接触している(第364頁)。
^ 同著では、ギリシャ神話とアジアの神話の比較神話学 上の関連性については言及されていない。
^ 燭陰 (Zhulong )とは異なる。
^ ドラゴン(英語版 )等と共に「七英雄」に属し、ギリシャ神話の七つ頭の大蛇(英語版 )や黙示録の獣 とは異なる。
^ 竜神 や竜王 等を含む。
出典
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参考文献
関連項目