ケビン・マーティン(Kevin Martin 1966年7月31日- )はカナダのアルバータ州キラム出身のカーリング選手。冬季オリンピックに3回出場し2010年のバンクーバーオリンピックではスキップとして出場し金メダルを獲得した。世界カーリング選手権でも2008年に優勝、ワールドカーリングツアーのグランドスラムでも17回優勝している[1]。ニックネームはThe Old Bear、K-Mart[2]。
経歴
父親が地元のカーリングチームの幹部だった彼は6歳からカーリングを始めた[3]。1985年にはカナダジュニア選手権で優勝、1986年の世界ジュニアカーリング選手権に出場し予選リーグでは無敗、準決勝でスウェーデンを破り、決勝に進んだがスコットランドに6-7で敗れ銀メダルを獲得した。
1991年にはカナダ選手権に出場するアルバータ州の代表を決める大会で初めて優勝し、ウィニペグで行われたカナダ選手権では予選リーグでサスカチェワン州のチームと並んで8勝3敗で1位タイとなった。そして準決勝、決勝と勝利し初優勝を果たした。翌1992年に公開競技として開催されたアルベールビルオリンピックに出場、予選リーグを3連勝したが準決勝でスイスに4-8、3位決定戦でアメリカ合衆国に2-9で敗れた[4]。この年もカナダ選手権に出場、予選リーグを8勝3敗の2位で終えたが準決勝でラス・ハワード(2006年のトリノオリンピック金メダリスト)がスキップを務めるオンタリオ州のチームに敗れた。
その後2年間はカナダ選手権に出場できなかったが1995年のカナダ選手権では予選リーグで7勝4敗の3位タイとなりページプレーオフを勝ち上がったが準決勝で敗れた。1996年のカナダ選手権では予選リーグを10勝1敗の1位で終えたが準決勝でジェフ・スタウトンのマニトバ州チームに敗れた。1997年のカナダ選手権では予選リーグで10勝1敗の2位、決勝で予選無敗だったヴィック・ピーターズのマニトバ州チームを破り2度目の優勝を果たし1997年世界カーリング選手権の出場を果たした[5]。世界選手権では予選リーグで7勝2敗の1位となったが準決勝でスウェーデンに4-6、3位決定戦でスコットランドに4-8と敗れメダルを逃した。11月に行われた長野オリンピック代表選考会(1998年長野オリンピックからカーリングは正式競技となった。)では予選リーグを6勝3敗の2位タイで終えて準決勝も勝ち上がったが決勝でマイク・ハリス(長野オリンピックでは銀メダル)のチームに敗れた。
その後2シーズン、カナダ選手権出場を果たせなかったが2000年に3年ぶりの出場を果たした。しかし予選リーグでは6勝5敗に終わりプレーオフ出場はならなかった。2001年のカナダ選手権出場を逃すと彼のチームはカナダ国内の大会への出場を辞退してワールド・カーリング・ツアーを転戦するようになった。ソルトレイクシティオリンピック代表選考会で優勝し、2002年のソルトレイクシティオリンピックでは予選でわずか1敗、準決勝でスウェーデンを6-4で破ったが[4]決勝でノルウェーに5-6で敗れ銀メダルを獲得した[6]。彼のチームはカナダ選手権出場につながる大会には2006年まで出場せず世界を転戦したがその間にグランドスラムの優勝5回、2005年のカナダカップで優勝した。トリノオリンピック代表選考会では4勝5敗に終わった。2006年のカナダカップで優勝[7]、同年のカナダ選手権に6年ぶりに出場し[8]予選リーグを8勝3敗の2位タイで終えたがプレーオフでノヴァスコシア州代表のチームに敗れた。2005/06シーズン彼のチームはカナダカップで優勝したものの、グランドスラムで1勝もあげられず、長期休養することを発表した。そして彼はチームメートをすべて入れ替え2007年のカナダ選手権では予選リーグを8勝3敗の2位、プレーオフで敗れたがグランドスラム4戦中3回優勝した。
2008年のカナダ選手権では予選から無敗で決勝ではライバルのグレン・ハワード率いるオンタリオ州代表チームを破り3回目の優勝を果たした。同年アメリカ合衆国ノースダコタ州グランドフォークスで行われた世界カーリング選手権で予選を10勝1敗で終え、決勝では唯一敗れたスコットランドのデビッド・マードックのチームを6-3で破り初優勝した。また2007/08シーズンにはグランドスラムで2勝をあげた。世界選手権に優勝したことによってヨーロッパ代表と戦うコンチネンタルカップ代表に選ばれた[9]。
2008/09シーズンも好調を維持しカナダ選手権を無敗で制し、1週間後のカナダカップでも優勝を果たし2009年世界選手権でも予選リーグを10連勝で終えたがプレーオフでスコットランドチームに2敗して銀メダルを獲得した[10]。決勝では同点で最終エンド後攻だったがショットをミスし6-7で敗れた。
ホームタウンのエドモントンで行われたバンクーバーオリンピック代表選考会を突破してカナダ代表に選ばれた。オリンピックでは予選を9戦全勝で終えた。これは1924年のシャモニーオリンピックにおけるイギリスチーム以来の快挙であった。予選リーグのイギリス選では地元カナダのファンが盛り上がり、カナダ国歌の大合唱を始め、試合が一時中断された[11]。準決勝ではニクラス・エディンのスウェーデンを6-3で破り[12]、決勝ではトマス・ウルスルのノルウェーを6-3で破って金メダルを獲得した[13]。
2010年12月のカナダ選手権でも優勝した[14]。
2012年のザ・ナショナルでは決勝でグレン・ハワードのチームに5-6で敗れて準優勝となった[15]。
グランドスラムでの成績
ワールドカーリングツアーにおける最高峰の大会シリーズであるグランドスラムの成績。
略語の説明
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C
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優勝
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F
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準優勝
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SF
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ベスト4
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QF
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ベスト6・ベスト8
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R16
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ベスト16
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Q
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予選敗退
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T2
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ティア2(2部)出場
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DNP
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大会不参加
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N/A
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開催せず
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大会 / シーズン
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01–02
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02–03
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03–04
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04–05
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05–06
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06–07
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07–08
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08–09
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09–10
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10–11
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11–12
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12–13
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13–14
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マスターズ
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QF
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C
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SF
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QF
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F
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SF
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QF
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QF
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QF
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QF
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SF
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SF
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F
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ナショナル
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DNP
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SF
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DNP
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C
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QF
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C
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C
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SF
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Q
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C
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F
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SF
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QF
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オープン
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SF
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C
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SF
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C
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SF
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C
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C
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F
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C
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QF
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QF
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DNP
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QF
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プレーヤーズ
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SF
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Q
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F
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C
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F
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C
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F
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SF
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C
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C
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SF
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Q
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C
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人物
妻との間に3人の子供がいる[16]。
毎年夏、ジュニアのトップ選手を集めて、より高いレベルでのプレーができるよう指導している[17]。
脚注
外部リンク