クリス・アギーラ
Chris Aguila
ソフトバンク時代(2009年7月16日) |
基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
カリフォルニア州レッドウッドシティ |
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生年月日 |
(1979-02-23) 1979年2月23日(45歳) |
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身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 180 lb =約81.6 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
外野手 |
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プロ入り |
1997年 ドラフト3巡目(全体96位)でフロリダ・マーリンズから指名 |
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初出場 |
MLB / 2004年6月28日 NPB / 2009年4月3日 |
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最終出場 |
MLB / 2008年7月10日 NPB / 2009年5月20日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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クリストファー・ルイス・アギーラ(Christopher Louis Aguila、1979年2月23日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州レッドウッドシティ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
高校時代はリノにあるマックイーン高校でプレーし、同校の1シーズン最多本塁打記録を作った。3年時には高校の全米ファーストチームの指名打者に選出された[1]。
マーリンズ時代
1997年のMLBドラフトでフロリダ・マーリンズから三塁手として3巡目(全体96位)指名され、プロ入り[2]。入団当初は若手有望株と期待されていたが、2シーズンをルーキー級、2シーズン半をA級及びA+級で過ごすことになった。
1999年途中で外野手にコンバートされた[1]。
2001年はAA級ポートランド・シードッグスでプレーし、64試合で打率.257という成績だった。
2002年も引き続きポートランドでプレーし、打率.294という結果だった。
2003年はマーリンズが提携先を変えたため、引き続きAA級の所属となったもののチームはカロライナ・マドキャッツに変更。この年は93試合で打率.320という結果を残し、実力を証明したアギーラは翌年の2004年にはマーリンズのスプリングトレーニングに招待された。
アギーラは2004年の開幕メジャー入りは逃したものの、監督のジャック・マキーオンに印象を与えることになった。AAA級アルバカーキ・アイソトープスでは打率.312を残し、マーリンズでメジャー初昇格を果たす。この年は29試合の出場にとどまった。
2005年は開幕メジャー入りを果たした。ミゲル・カブレラ、フアン・ピエール、フアン・エンカーナシオン、ジェフ・コーナインに続く5番手の外野手としてプレー、しかし主な役割は代打となった。始めの2か月ではわずか16打数しか立てず、5月27日にはAAA級アルバカーキに降格した。AAA級アルバカーキでは正中堅手として起用され、35試合で打率.351・7本塁打・25打点と活躍し、7月7日にはジョシュ・ウィリンガムが故障者リスト入りしたことに伴いメジャーへ復帰した。この年の残りはマーリンズでプレーしたものの、引き続き代打としての起用が主で先発出場は12試合に終わり、そのほとんどが怪我のエンカーナシオンの代役としてのものだった。結局78打数で打率.244、本塁打ゼロ、4打点という結果でシーズンを終えたアギーラはこのオフはドミニカウインターリーグでプレーをした[3].。
2006年も開幕メジャー入りを果たした。ハーミダが控えの間、マーリンズがジョー・ボーチャードと契約するまでは右翼手として出場。ボーチャードと契約後はエリック・リードやレジー・アバークロンビーと中堅手を争うことになった(ウィリンガムは時々捕手として出場したものの、ほとんどは左翼手として出場)。リードは35打数4安打と不調だったためにAAA級アルバカーキへ降格したものの、その間にアバークロンビーは11試合連続安打を放ち、アギーラは出場機会を奪われ、5月3日以降の16試合で先発はわずか3試合だった。5月26日にはシンシナティ・レッズからコディ・ロスをトレードで獲得、そのためアギーラはAAA級アルバカーキへ降格することになった。3Aアルバカーキでは打率.383(47打数18安打)・1本塁打・13得点を記録し、ウィリンガムが故障者リスト入りしたためにマーリンズへ昇格した。その後再びAAA級アルバカーキに降格したがマイナーのシーズン終了後は再び昇格し、8試合で9打数3安打という内容だった[4]。先発出場は1試合も無かったものの、フィラデルフィア・フィリーズ戦では二塁打を含む3打数2安打と活躍し、このシーズン最後の勝利に貢献した[5]。オフの10月13日、マーリンズはアギーラのメジャー契約を解除した[6]。
パイレーツ傘下時代
2006年12月10日にピッツバーグ・パイレーツとキャンプ招待選手としてマイナー契約を結んだ[7]。しかし開幕メジャー入りは果たせず、この年は傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンズで過ごすことになった[8]。
メッツ時代
2008年は3月にニューヨーク・メッツとマイナー契約し[9]、傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズでプレーした。6月11日にエイブラハム・ヌニェスが戦力外になったことに伴い、メジャー昇格。しかし3試合に出場しただけで戦力外となった。再びメジャー昇格するものの、7月11日にまたも戦力外となり、7月15日にはそのままAAA級ニューオーリンズに降格した。シーズン終了後にFAとなった。
ホークス時代
2008年11月23日に福岡ソフトバンクホークスがアギーラの獲得を発表した[10]。
2009年2月5日、春季キャンプを張っていたチームに合流し、同日に入団会見も行った。キャンプでは走攻守3拍子揃ったところを見せて首脳陣から大きく期待され、その後右膝を痛めてやや出遅れたが、オープン戦終盤に2本塁打を打つなど、シーズンに向けて調子を上げているかに見えた。
ところが、シーズンに入ると極度の打撃不振に陥り、松田宣浩が離脱して固定できていなかった3番に入る試合もあったが、全く結果を残せずに4月17日に2軍落ち。その後、前年まで千葉ロッテマリーンズに在籍していたホセ・オーティズが加入し一旦外国人枠は埋まったが(この年のソフトバンクの外国人枠は基本的に投手3・野手1である)、アギーラが2軍で好成績を残したこと、開幕当初先発ローテーションに入っていたキャメロン・ローが2軍落ちして枠が1つ空いたことに伴い、5月15日に再昇格した。
だが、ここでも4試合でわずか1安打と不振で、5月21日に再度登録抹消。その後はジャスティン・ジャマーノがローテ入りしたこともあって1軍昇格がないまま、8月31日に帰国し12月2日限りで退団が決まった[11]。
ブルージェイズ傘下時代
ソフトバンクを退団後、トロント・ブルージェイズとマイナー契約した。
マーリンズ傘下時代
2012年まで古巣マイアミ・マーリンズ傘下のマイナーリーグでプレーしていた。
ボローニャ時代
2013年は、イタリアンベースボールリーグのフォルティチュード・ボローニャでプレーしていたが[12]、6月10日に解雇された[13]。
2016年2月に第4回WBC予選のフィリピン代表に選出された。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2004
|
FLA
|
29 |
48 |
45 |
10 |
10 |
2 |
1 |
3 |
23 |
5 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
0 |
12 |
0 |
.222 |
.255 |
.511 |
.766
|
2005
|
65 |
81 |
78 |
11 |
19 |
3 |
0 |
0 |
22 |
4 |
0 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
19 |
0 |
.244 |
.272 |
.282 |
.554
|
2006
|
47 |
104 |
95 |
5 |
22 |
8 |
1 |
0 |
32 |
7 |
2 |
1 |
0 |
0 |
9 |
1 |
0 |
26 |
2 |
.232 |
.298 |
.337 |
.635
|
2008
|
NYM
|
8 |
15 |
12 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
0 |
4 |
1 |
.167 |
.286 |
.167 |
.452
|
2009
|
ソフトバンク
|
14 |
48 |
42 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
0 |
16 |
3 |
.095 |
.208 |
.095 |
.304
|
MLB:4年
|
149 |
248 |
230 |
26 |
53 |
13 |
2 |
3 |
79 |
16 |
2 |
2 |
2 |
0 |
16 |
1 |
0 |
61 |
3 |
.230 |
.280 |
.343 |
.624
|
NPB:1年
|
14 |
48 |
42 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
0 |
16 |
3 |
.095 |
.208 |
.095 |
.304
|
記録
- NPB
背番号
- 3 (2004年 - 2006年)
- 29 (2008年)
- 4 (2009年、2013年)
脚注
関連項目
外部リンク