キャヴェンディッシュ家はノルマン騎士ロバート・ド・ジャーノン(Robert de Gernon)の子孫にあたる。このロバートの息子のグリムストン・ホール(Grimston Hall)のロバート・ド・ジャーノンは、キャヴェンディッシュのジョン・ポトン(John Potton)の女子相続人と結婚し、キャヴェンディッシュの土地を手に入れた。その息子たちがキャヴェンディッシュの土地の名を姓にするようになった[2]。
ウィリアム・キャヴェンディッシュは、1605年5月4日にイングランド貴族ハードウィックのキャヴェンディッシュ男爵(Baron Cavendish of Hardwicke)、1618年8月7日にデヴォンシャー伯爵(Earl of Devonshire)に叙位された[3]。その曽孫ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1640–1707)は、名誉革命の貢献で1694年5月12日にイングランド貴族デヴォンシャー公爵(Duke of Devonshire)とハーティントン侯爵(Marquess of Hartington)に叙位された。その後分流の貴族が爵位を継承した関係で連合王国貴族バーリントン伯爵やケイリーのケイリーのキャヴェンディッシュ男爵(Baron Cavendish of Keighley, of Keighley)も従属爵位に加えて2020年現在まで存続している。チャッツワース・ハウスも所有し続けている。2020年現在の当主は第12代デヴォンシャー公爵ペリグリン・キャヴェンディッシュ(英語版)(1944-)である[4]。
チャールズ・キャヴェンディッシュの子ウィリアム・キャヴェンディッシュ(1592–1676)は1620年10月29日にイングランド貴族ノッティンガム州におけるマンスフィールドのマンスフィールド子爵(Viscount Mansfield, of Mansfield in the County of Nottingham)、ノーサンバーランド州におけるボサルのボサルのオーグル男爵(Baron Ogle of Bothal, of Bothal in the County of Northumberland)に叙位され、1628年3月7日にニューカッスル=アポン=タイン伯爵(Earl of Newcastle-upon-Tyne)とダービー州におけるボルソーバーのキャヴェンディッシュ男爵( Baron Cavendish of Bolsover, of Bolsover in the County of Derby)、1643年10月27日にニューカッスル=アポン=タイン侯爵(Marquess of Newcastle-upon-Tyne)に叙位された。王政復古後の1665年3月16日にニューカッスル=アポン=タイン公爵(Duke of Newcastle-upon-Tyne)、オーグル伯爵(Earl of Ogle)に叙位された[5]。
ヘンリー・キャヴェンディッシュの来孫でアイルランド議会の議員のヘンリー・キャヴェンディッシュ(英語版)(1707–1776)は、1755年5月7日にグレートブリテン準男爵位の(ダービー州ダヴリッジの)準男爵(Baronet, of Doveridge in the County of Derby)に叙位された。その息子の第2代準男爵サー・ヘンリー・キャヴェンディッシュ(英語版)(1732–1804)の妻のサラ・キャヴェンディッシュ(1740-1807)は、1792年6月15日にアイルランド貴族コーク県におけるウォーターパークのウォーターパーク女男爵(Baroness Waterpark, of Waterpark in the County of Cork)に叙位された。2020年現在まで存続しており、現在の当主は第8代ウォーターパーク男爵ロデリック・アレクサンダー・キャヴェンディッシュ(1959-)である[6]。