フランス人が自らのルーツをガリア人に求め始めるのは、一般に近代ナショナリズムの時代だと思われがちだが、その嚆矢は既に近世初期に現れていた。
1498年にヴィテルボのアンニウスが『古代雑篇』"Antiquitatum Variarum"[1]を著したが、これを見た詩人ジャン・ルメール・ド・ベルジェは散文によって歴史小説風の『ガリアの顕賞とトロイアの特殊性』"Illustrations de Gaule et singularitez de Troye (1510–1514)"を書いた。何れもフランスの起源をガリアに求めているのであるが、後者は著者がブルターニュ女公アンヌを通じてヴァロア朝のルイ12世に伺候していた関係から、特にガリアの優越を強調した内容になり、トロイアの英雄ヘクトールをブルグント王国に関係付けている。当時フランスはブルターニュ女公とルイの婚姻によって領土の再統一を果たし、北イタリアにも侵攻してミラノを領有。ローマ教皇や神聖ローマ帝国とも対立を深めており国威の発揚という要素もある。
^最初は『古代論諸説解説』Commentaria super opera diversorum auctorum de antiquitatibus loquentium, Rome: Eucharius Silber, 1498として出版された。この版はBiblioteca Virtual de Andalucíaで読める。