カーネルシンボリは、日本の競走馬、種牡馬。1974年クラシック世代。同期はキタノカチドキ・コーネルランサーなど。
戦績
北海道でデビューし北海道3歳ステークス優勝。京成杯3歳ステークスまで無傷の5連勝を遂げる。大本命で臨んだ朝日杯3歳ステークスはミホランザンの6着となったが、明け4歳になって東京4歳ステークスと弥生賞を連勝。弥生賞では鋭い脚で抜け出しバンブトンオール、コーネルランサーを差し切り、朝日杯で敗れたミホランザンにも勝利している。8戦7勝というほぼ完璧な成績で、クラシックでは関東勢の総大将と見られていたが、直前に骨折して三冠全てを棒に振った。
復帰後は脚光を浴びる事も少なかったが、死んだ父・野平省三調教師の厩舎を継ぐ事になった野平祐二騎手の引退レース・1975年春の目黒記念を優勝している。だが結果的にこれが最後の勝利となってしまった。
成長力の有る競走馬で、夏の札幌ダート1000メートルの新馬戦から2500メートルの目黒記念まで勝利し距離の融通性を示した。1975年秋の天皇賞ではフジノパーシアの2着に来た事もあった。しかし度重なる故障で大成を阻まれ、6歳以降はわずか3戦しかできなかった。
引退後
脚元が最後まで良くならず、骨折後は格段の実績は残せないまま引退・種牡馬入りした。1978年に種牡馬入りしてからスイートブレスト(クイーンステークス)・シノンシンボリ(中山大障害(秋))と言った、重賞勝ち馬を輩出している。その他の産駒にスイートミトゥーナの母であり、セイウンスカイの曾祖母であるアンジュレスイートがいる。
晩年は熊本・古閑清一牧場で細々と自己生産の肌馬に種付けを行っていたが、自身と並ぶような産駒は最後まで誕生することはなかった。1991年11月14日、老衰の為に死亡している。
血統表
1歳上の半姉スイートライラックの曾孫にインターマイウェイ(大阪杯)がいる。
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