カール・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(Karl Salvator von Österreich-Toskana, 1839年4月30日 - 1892年1月18日)は、トスカーナ大公レオポルド2世の次男で、最後の大公フェルディナンド4世の弟。トスカーナ系ハプスブルク家の一員であり、またオーストリア=ハンガリー帝国陸軍の将軍となった。イタリア語名はカルロ・サルヴァトーレ・ダズブルゴ=トスカーナ(Carlo Salvatore d'Asburgo-Toscana。オーストリア皇族としての大公(Erzherzog)の称号を有する。
生涯
レオポルド2世と、2番目の妃である両シチリア王フランチェスコ1世の娘マリア・アントニアの間の第5子として、フィレンツェに生まれる。1860年にトスカーナ大公国はサルデーニャ王国に併合され(翌1861年にイタリア王国が成立)、以後トスカーナ大公家はオーストリアのハプスブルク家宗家を頼ることになった。
1861年9月19日、元両シチリア王フランチェスコ2世(両シチリア王国も1860年にサルデーニャに併合された)の妹である従妹のマリア・インマコラータと、ローマで結婚した。
カール・サルヴァトールは1892年にウィーンで死去した。
子女
マリア・アントニアとの間に11人の子女をもうけた(名前はドイツ名で記す)。