カルケドン(ギリシア語: Χαλκηδών、ラテン語: Chalcedon)は、アナトリア半島北西部に位置した古代都市である[1]。現在のトルコ共和国イスタンブール市カドゥキョイ(トルコ語: Kadıköy)地区にあたる[1]。
紀元前685年、古代ギリシアの都市国家メガラの植民地として建設された[1]。ボスポラス海峡をはさんでビュザンティオンの対岸に位置し、アテナイとスパルタとの間で領有を争われた[1]。のちにアッタロス朝の支配下に入り、紀元前133年、アッタロス3世死去に際し共和政ローマに遺贈され[1]ビテュニア属州の一部となった。451年、キリスト教の教義に関するカルケドン公会議が開かれ[1]、カルケドン信条が定められた。
石英鉱物の一種玉髄の英語名カルセドニー (chalcedony) は当地にちなむ[2]。
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