カタリナ・デ・ランカステル(Catalina de Lancáster, 1373年3月31日 - 1418年6月2日)は、カスティーリャ王エンリケ3世の王妃。
英語名キャサリン・プランタジネット(Catharine Plantagenet)またはキャサリン・オブ・ランカスター(Katherine of Lancaster)。
生涯
イングランドのランカスター公ジョン・オブ・ゴーントと、2度目の妻コンスタンス・オブ・カスティル(スペイン名:コンスタンサ・デ・カスティーリャ)の長女として、ハートフォードで生まれた。母はカスティーリャ王ペドロ1世の次女であり、父が庶兄エンリケ2世に謀殺された後、「カスティーリャ女王コンスタンサ」を名乗り、自身の王位継承権を主張していた。
その後1388年に、フアン1世とイングランドが結んだバイヨンヌ条約(英語版)により、コンスタンスとジョンはカスティーリャ王位請求権を放棄し、代わりに賠償金と領地を受け取った。そして、正当な王位継承者であるカタリナを、庶出の(簒奪者の)トラスタマラ家に嫁がせることで、両者の争いを終結させた。また、同時期に父ジョンは隣国ポルトガルと同盟関係を締結させ、カタリナの異母姉フィリッパをジョアン1世に嫁がせた。
1393年に、マドリードでアストゥリアス公エンリケと結婚し、3子をもうけた。
- マリア(1401年 - 1458年) 従兄にあたるアラゴン王アルフォンソ5世と結婚
- カタリナ(1403年 - 1439年) アルフォンソ5世の弟で従兄にあたるビリェーナ伯エンリケと結婚
- フアン(1405年 - 1454年) のちのフアン2世
カタリナは夫の死後、幼いフアン2世の摂政をエンリケ3世の弟フェルナンド・デ・アンテケラ(後のアラゴン王フェルナンド1世)とともに務めた。1418年、カタリナはバリャドリッドで死去した。
系譜
脚注
- ^ フランス王フィリップ6世の妹。