ムハンマド・カイルル・アムリ・ビン・ムハンマド・カマル(Mohammad Khairul Amri bin Mohammad Kamal、1985年3月14日 - )は、シンガポールの元サッカー選手。元シンガポール代表で現役時代のポジションはFW。
経歴
バイハッキ・カイザン、シャーリル・イシャク、ハッサン・サニーと共にカイルル・アムリはシンガポール国立フットボールアカデミーの第一期生である[2]。
その後は、Sリーグ所属のヤング・ライオンズに所属した。2006年のSリーグではピアラFAマレーシアでの4得点を含む20得点以上を挙げ、フリーキックからの多くの得点も相俟って、同年の得点王に並ぶ活躍を見せた。バイハッキ・カイザンがゲイラン・ユナイテッドFCに移籍した後は、ヤング・ライオンズの主将となった。
2008年半ばの移籍市場では、タンピネス・ローバースFCに移籍し、Sリーグ年間最優秀若手選手賞に輝いた。しかしながら、同年のシンガポール・カップの第3ゲームの88分に中足骨を怪我し、二ヶ月の療養を余儀なくされた。奇しくもその対戦相手はヤング・ライオンズであった。
2010年にはインドネシアのプルシバ・バリクパパンに移籍、23試合に出場し9得点の活躍をした[3]。このシーズンでも彼は足の筋肉を怪我し、7ヶ月以上の欠場を余儀なくされた。
2011年11月にはマレーシア・スーパーリーグへの参戦が決まっていたシンガポール・ライオンズXIIに移籍したが、翌2012年11月にはSリーグ首位になったタンピネス・ローバースFCに再移籍した。その後、再びシンガポール・ライオンズXIIに移籍した[4]。
2016年、ヤング・ライオンズに復帰。2017年には再びタンピネス・ローバースFCに移籍した。
2019年、マレーシアのFELDAユナイテッドFCに移籍した。
2021年、タンジョン・パガー・ユナイテッドFCに移籍した[5]。
代表歴
カイルル・アムリはU-16代表、U-18代表、U-23代表、A代表に選出されている。
A代表デビューは2004年のオマーン代表戦である[6]。同年の東南アジアサッカー選手権ではインドネシア代表から得点を奪う等、その後に繋がる活躍を見せた[7]。数か月後、AFCアジアカップ2007ではイラク代表からフリーキックで得点を奪い、2-0でこの試合は勝ったものの[8]、同じく彼が1点を獲得したアウェー戦では4-2で敗れている[9]。
2007年の東南アジアサッカー選手権ではラオス代表に11-0の快勝をしている[10]。決勝戦となったタイ代表戦でも得点を挙げ、シンガポール代表の三回目の優勝に大きく貢献した[7]。
また、同年の東南アジア競技大会では、U-23代表の一員として銅メダルの獲得に貢献している。
その後、2008年のシンガポール・カップで負傷したために、同年の東南アジアサッカー選手権は出場できず、2010年にも負傷しているため、AFCアジアカップ2011の始めの2試合も欠場している。更に2011年にもクラブでの怪我によって、2014 FIFAワールドカップ・アジア予選の出場が出来なかった。
2012年の東南アジアサッカー選手権では出場を果たし、ラオス代表、フィリピン代表、タイ代表からそれぞれ得点を果たしている[7]。
キャリア
国際試合
- 代表での得点[11]
生活
カイルル・アムリの弟カイルル・ニザムもシンガポール代表のサッカー選手である[12]。
タイトル
クラブ
- シンガポール・ライオンズXII
代表
- シンガポール
個人
- S.League People's Choice Award: 2006
- Lions’ Player of the Year: 2006
- S.League Young Player of the Year: 2008 [13]
参考文献
外部リンク