ヤングが1980年代に初めてカントリー・アルバムに挑戦したのは1983年1月のことだった。彼は、プロデューサーであるデヴィッド・ブリッグスのナッシュヴィルのレコーディング・スタジオ、ハウス・オブ・デイヴィッドで、1978年の『カムズ・ア・タイム』でヤングのバックを務めていたベン・キース、ティム・ドラモンド、カール・T・ヒメル、スプーナー・オールダム、ルーファス・シボドーらと数曲をレコーディングした。「Old Ways」、「Depression Blues」、「California Sunset」、「My Boy」、「Are There Any More Real Cowboys? 」、「Silver and Gold」はすべてこのセッションの曲である。 1982年に『トランス』と未発表の『アイランド・イン・ザ・サン』を提出した後、ヤングのレコード・レーベルであるゲフィンはカントリー・アルバムに反対し、「ロックンロール 」のレコードを要求した。Depression Blues」は後にヤングのゲフィン時代のコンピレーション『ラッキー・サーティーン』に収録され、「Silver and Gold」は2000年にアルバムのタイトル曲として収録された。ヤングは1988年6月のローリング・ストーン誌のジェイムズ・ヘンケとのインタビューで、この最初の作品についてこう語っている。
もう1枚、オリジナルの『オールド・ウェイズ』があったんだけど、ゲフィンは却下したんだ。それは『ハーヴェスト II』のようなものだった。『ハーヴェスト』と『カムズ・ア・タイム』のミュージシャンを組み合わせたものだった。基本的に『ハーヴェスト』と同じようにナッシュビルで数日かけて作られ、『ハーヴェスト』をプロデュースしたエリオット・メイザーが共同プロデュースした。『Harvest』、『Comes a Time』、『Old Ways I』があり、『Old Ways II』よりもニール・ヤングのレコードに近い。『オールド・ウェイズII』は、カントリー・ミュージックよりのレコードで、カントリー・ミュージックを演奏したことで訴えられたことが直接の原因だった。彼らが私を止めようとすればするほど、私はそれをやった。誰にも指図されないということを知らしめるためにね。私はそのレコードにとても興奮していた。彼らに8曲入りのテープを送ったんだ。一週間後、何も聞いていなかったので電話すると、「率直に言って、ニール、このレコードはとても怖い。私たちは、これがあなたの進むべき正しい方向だとは思わない」と言われた… 彼らは私をアーティストとしてではなく、商品として見ていた[5]。