オーストラリア・バレエ団(英語: The Australian Ballet)は、オーストラリア最大のクラシック・バレエ団である。1962年にJ. C. ウィリアムソン・シアターズ社とオーストラリア・エリザベス劇場基金により設立され、イギリス出身のダンサー・バレエ教師・監督のペギー・ヴァン・プラフが初代芸術監督を務めた。今日では、世界でも有数の国際的バレエ団の1つとして知られている。
歴史
オーストラリア・バレエ団の起源は、1940年にチェコ人ダンサーのエドゥアール・ボロヴァンスキーが立ち上げたボロヴァンスキー・バレエ団に遡る。ボロヴァンスキーは有名なロシアのバレリーナ、アンナ・パヴロワのツアー・バレエ団のダンサーだったが、コヴェント・ガーデン・ロシアン・バレエとのオーストラリア公演の後にオーストラリアに留まることを決心し、1939年にメルボルンにバレエ学校を設立した。その生徒を中心として設立されたのがボロヴァンスキー・バレエ団である。ボロヴァンスキー・バレエ団はJ. C. ウィリアムソン・シアターズ社から資金面・運営面でサポートを受けていたが、1959年にボロヴァンスキーが亡くなるとイギリス出身のダンサー・監督のペギー・ヴァン・プラフを芸術監督として招聘した。その後、1961年にJ. C. ウィリアムソン・シアターズ社はボロヴァンスキー・バレエ団の解散を決定した。
しかし、同年 J. C. ウィリアムソン・シアターズ社とオーストラリア・エリザベス劇場基金に連邦政府から国家的なバレエ団の設立に向けた助成金が支給されることになり、この助成金により1962年にオーストラリア・バレエ団が設立された。そして、J. C. ウィリアムソン・シアターズ社はペギー・ヴァン・プラフに初代芸術監督への就任を招請した。オーストラリア・バレエ団の設立にあたっては、ボロヴァンスキー・バレエ団の元団員を多数迎え入れている。
オーストラリア・バレエ団の団員はその多くがオーストラリア・バレエ学校の卒業生であり、両者は緊密に協力している。オーストラリア・バレエ団は年間約200回の公演をこなしており、世界で最も忙しいバレエ団であると自称している他、「伝統を重んじながらも、新たな冒険を恐れない(Caring for tradition, daring to be different)」というビジョンに沿って古典の名作から現代作品まで幅広いレパートリーを有している。毎年、教育責任者のケイティ・マッケオンによる教師育成プログラムを含む幅広いダンス教育カリキュラムをオーストラリア国内で提供しており、年間40,000人以上の子供たちに教えている。