エルセニョール(El Senor)[2]とは、アメリカ合衆国生産の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に1989年と1990年のソードダンサーハンデキャップ、1989年のボウリンググリーンハンデキャップ(英語版)(G1)、ハイアリアターフカップハンデキャップ(英語版)(G1)など。
経歴
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1987年2月28日、ハイアリアパーク競馬場でのメイドン競走でデビューし、1年余りの休養を挟んで1988年3月の4戦目で初勝利を挙げる。続く4戦はアローワンス競走に使われ2勝2着2回としたあと、G1競走のボウリンググリーンハンデキャップとG2競走ティダルハンデキャップ(英語版)に出走して5着、4着。ハンデキャップ競走を勝った後G3競走セネカハンデキャップ2着を経て出走のG3競走ルイジアナダウンズハンデキャップで重賞を初めて制覇する。ロズマンズインターナショナルステークスでも2着に入ったが、ブリーダーズカップ・ターフは6着に終わった。
1989年、最初の2戦を3着、2着としてハイアリアターフハンデキャップに出走し、初G1競走勝利をおさめた。G2競走ボウリンググリーンハンデキャップ(英語版)2着を挟み、ボウリンググリーンハンデキャップとソードダンサーハンデキャップを勝ってG1競走タイトルを2つ上積みした。続くアーリントンミリオンステークスは4着に終わり、以後しばらく勝てない成績が続いたが、1990年7月のソードダンサーハンデキャップで1年ぶりの勝利を挙げてG1競走4勝目とした。その後はまたしばらく勝てないレースが続くも、1991年8月サラトガ競馬場でのハンデキャップ一般戦で1年ぶりの勝利を挙げると、続くセネカハンデキャップでは武豊が騎乗し、121ポンドのトップハンデながら中団から差し込んで2着リガマジグをクビ差おさえて勝利[3][4]。これが日本人騎手による初の海外重賞勝利となった[3][5]。9月ベルモントパーク競馬場のハンデキャップ一般戦も勝って3連勝として凱旋門賞に出走したが9着。その後はブリーダーズカップ・ターフで9着、ハイアリアパーク競馬場のリステッド競走ブーゲンビリアハンデキャップも7着に終わり、これが最後の競馬となった。
引退後
引退後の1993年から日本で種牡馬として繋養され、7シーズンの供用で血統登録頭数145頭、出走頭数はそのうちの126頭を数えた[6]。主な産駒に1999年中山グランドジャンプ3着などのヨイドレテンシ、ブルードメアサイアーとしての産駒にスーパーホーネットがいた[7]。供用終了後の動向は不明。
血統表
脚注
参考文献
- 「関西競馬四季報 1994春季号」『競馬ブック』第15巻第1号、ケイバブック。
外部リンク